あれは6年前の4月のある日のことだった。その日は朝から気持ちのよい天気だったので私は年頃の女の子らしくカフェめぐりやデパートでの買い物を楽しんで16時に帰宅した。するとなぜか台所に母親が小さないすを持ち込んでおり、私を見るなり「遅い」と言い放ち、ぎろりとこちらをにらんでいた。繁華街から一時間もバスに揺られていた私は少しつかれており、まずはお茶でもいれて飲もうかと思ったが、母親はとにかく早く台所に来てとやたら急かしてくる。なんだろう?そんなに遅く帰宅したわけではないのにと少し不服に思う私に母親は大きな声で言った。「今からからあげを作ってみてよ。」私は料理好きだけど実はレシピが手元にないと何もまともに作れない。だからレシピサイトを見るから待ってとか料理本を持ってくるからと言ってみたが「早く早く。16時よ」と母親の険しい視線と声が、私を追いかけてくる。もうどこかの料理本で見たからあげの作り方を自力で思い出すしかないとあきらめかけたその時、母親の声が背中ごしに聞こえた。「冷蔵庫にあるとり肉を一口大に切って酒としょうゆを少し揉みこむこと。」その後も大さじいくらとも何分とり肉を油で揚げるとも言わない母親の目分量によるからあげレッスンが続いた。とり肉を揚げながら、シンクの中のボウルとかは洗うという調理中の片付けの指示も飛んでくる。色よく揚がったからあげをお皿に盛り付けた時、台所の時計が17時を告げた。
「これがわが家の17時のふんいき。覚えててね。」母親はどこを見るでもなく小さくつぶやいた。私は17時のふんいきって何?と思いつつ、特に気にもとめず冷蔵庫にあった作りおきの麦茶を味わった。あのとつぜんのからあげレッスン以降、私の仕事が休みの日のたびに16時になると母親は台所にいすを持ち込み座っていた。「とり肉の黒酢あんかけはとり肉だけでなく必ずじゃがいもとかニンジンとか野菜を揚げること。これで野菜も食べられるよ。」「ポテトサラダはマヨネーズに少し酢をプラスして。さっぱりするから。」あいかわらず目分量で時計とにらめっこのレッスンだったけれど、その時間は心地よい緊張感もあり、そんなひとときを次第に私は好きになっていた。そしてカレンダーの日付が5月末にさしかかったとき、ある日母親は「今日は最後のレッスンです」と私の顔を見つめて告げた。今日はいすには座らず私と一緒に調理をするつもりらしい。シンクでじゃがいもを洗う私のとなりに来て母はつぶやいた。「あの子は朝早く出勤するんでしょう?」あの子が私の婚約者の事だと気付いて私は手を止めた。私は5月の最終日にこの家を出て遠くの街で結婚生活を始める。
「17時半には夕ごはん食べるよね?」母親の声を聞きながら、どんかんな私はやっと気付いた。このレッスンは結婚する私のために母親がこの家の味を教えるレッスンだったのだ。とり肉料理が多いのは夫となる彼がとり肉が大好きだから。「時々は料理は失敗してもいい。失敗を一緒に二人で笑ったらいい。苦手な家事があったっていいの。でも一緒にいる人が心からくつろげるお家をつくってね。」そう言ってくれた母親の顔を涙でにじんだ視界で見つめると「今日は肉じゃがを作ります。」凛とした母親の声が台所にひびいた。今日も17時までにおいしく作ろうと心に決めた。