「もう、おかん。弁当箱の上下間違えてるやんけ。」
本来、下段の白米が上段にあることに若干の苛立ちを感じる。
今日のおかずを確認するために白米をどかし、下段を覗き見ると、目を疑うしかない。
下段はチャーハンだった。
「あぁ、まただ。」
ぼくが高校生のころ、毎日つくってくれる弁当で母はときどきよく分からないボケをかましてくれた。
他にも「お湯はだれかにもらってください」のメモと一緒にふりかけではなくお茶漬けがかかっていたり、徳島名物の竹ちくわだけが堂々とおかずのスペースを埋め尽くしていたり。上段に具材、下段に酢飯、別添えで海苔があり、手巻き寿司をつくれるようになっていたこともあった。
困ったことにそのタイミングは完全に母の気分次第。それがいつ行われるか皆目検討もつかないし、数ヶ月に一回の割合で、忘れたころにやってくる。
奇妙な弁当を見た友だちは決まって大爆笑。その度に「おまえのおかん、ほんまにおもろいな」と言われることが、まだまだ思春期のぼくにはたまらなく恥ずかしかった。
家に帰って、母を問い詰めると「おもろかったやろ?」と暖簾に腕押し。それでもしつこく言い寄ると「ほな自分でつくれ」と最強の一言をくらって白旗をあげる。
正直、ふざけた弁当に苛立ちはするものの、食べられないわけじゃないし、これ以外ほとんどすべての弁当は抜群においしかった。見た目、栄養、味のすべてに非の打ち所がなく、母のつくってくれる弁当がとにかく好きだった。だからこそ、常にふつうの弁当がよかった。
たまに現れるふざけた弁当に文句をつけながら毎日を過ごし、いつの間にか卒業が近づいたある朝、母が弁当を詰めながら言った。
「あんたに教えといたるわ。おいしいだけの弁当なんて、だれでもつくれるし、コンビニの弁当も十分うまいやん。でもな、開けたらおもろい弁当なんてつくれるん私だけやぞ。」
その後ぼくは県外の大学に進学し、現在は東京で暮らしている。自分の稼いだお金を手に、好きなものを好きなだけ食べられるようになった。世界一のグルメ都市東京には、おいしい店なんて数えきれないほどある。雑誌で知った店を訪ねて、学生のころでは到底手の届かない食事をすることは、今の自分を肯定してくれる。
ただ、日々の生活を送る中で理不尽なこともあるし、悔しい思いもするし、明日が不安でなかなか寝付けない日もある。
そんなとき、疲れた体と心が欲するのは、星のついたレストランの料理でもなく、職人の寿司でもなければ、写真映えする流行りの食べ物でもない。
悔しいかな、開けたらクスっと笑ってしまう弁当なのだ。
そんな弁当が作れるのは、この東京でさえ一人もいない。
今度、実家に帰ってリクエストしよう。
「おかん、弁当つくって!おかずはチャーハンでええわ。」