「ねえ、ちょっと冷めちゃうから早く来て。」
「まだちょっと残ってるわよ。」
母は「ちょっと」が多い。そして母の作る料理もちょっと多い。昔からそうだった。
「食べることは生きること。」
「食べないと死んじゃうよ。」
これが母の口癖だった。おかげで私は病気にかかることなく学生時代は皆勤賞。それは母の自慢でもあった。
しかし、私にはちょっとした悩みがあった。それはちょっと太っていることだ。デブ。ブタ。そうやって男子によくからかわれた。
小学生のうちはそれでも良かった。しかし、高校生になるとそんな容姿が大きなコンプレックスとなった。
痩せたい。その思いから極端に食事を減らし始めた。米や揚げ物は太るから食べない。その代わり野菜だけを食べる。そんなことをしているうちに、私は食べること自体を拒否するようになった。
しかし、母にはそんな姿を見られたくない。だから、朝練だと嘘をついて母が起きる前に家を出た。もちろん何も食べずに。
「ねえ、ちょっと、ちゃんと食べてるの?」
ある時、私の腕をつかんで母が言った。すでにその時、五十五キロあった体重が四十三キロまで落ちていた。
「食べてるよ。」
しかし、母には通用しなかった。
「ちょっと待ちなさい。こんなガイコツみたいな体!本当に死んじゃうわよ!」
ガイコツ。その言葉は頭を突き刺すほどの衝撃だった。そして母は私の筋ばった足や骨の出た肩を触り、「なんなの、この体は。」と言った。もう泣いていた。はじめて見る母の涙。その時わかった。私のしていることは母をこんなにも傷つけているのだと。
それから病院を受診し、摂食障害との診断を受けた。これ以上痩せていたら生命の危機だと言われた。母の言う通り、食べることは生きること。食べなければ人は生きられないのだ。
母はその日、筑前煮と玉子焼きを作ってくれた。
「ほら、煮物好きじゃない?食べてみたら。」
「でもやっぱり、ん・・・・・・。」
「じゃあ、玉子焼き。ちょっと食べてみる?」
「え、何いれたの?」
「ちょっとだけ、お砂糖ね。」
「えー、やだ・・・・・・。」
「ちょっとだけでいいから。ねえちょっと。」
母の顔に負けて私はちょっと口に運んだ。うむ。ちょっと甘い。でも、おいしい。思わずまた箸をのばした。母もそれを見てホッとした様子だった。「これもちょっと。」「それもちょっとね。」
こうして私が回復するのに時間はかからなかった。どれも母のおかげである。
母の「ちょっと」を重ねる先に「もっと」食べたい自分がいた。そして昔みたいに明るく元気な自分がいた。
いま、天国にいる母に伝えたい。ねえ母さん、聞いてる?あの時の玉子焼き、ちょっと教えて欲しかったな。