イギリスに旅立つのは明日。実家で食べる最後の夕飯。
メニューはコロッケ、キャベツの千切り、ご飯、お味噌汁。僕は母のコロッケが大好きだった。
サッカー大会決勝の日、受験の日、僕にとって大事な日の前日や当日のお弁当に母親は必ず大好物のコロッケを作ってくれた。
2003年5月、18歳の僕はイギリスの大学に進学することにした。
自分で決めたこととはいえ、内心は不安に押しつぶされそうだった。初めての一人暮らし。初めての海外。
本当に一人でやっていけるだろうか。本当に英語は喋れるようになるのだろうか。
イギリスの大学は入学から卒業までに3年かかる。僕は経済的な事情もあり3年間で帰国できるのは1回か2回と決まっていた。
明日は僕にとってしばらくのあいだ親元を離れ、たった一人で異国の地で生活を始める。そんな日であった。
当時、母親はある病気を患っていて、家族のために食事を作ってから病院に行き、治療を受けてから帰ってくるという生活を送っていたため家族と夕飯は別だった。その日も母親は家族に夕飯を作ってから病院に向かった。
母親の作った夕飯を並べていた父親から、ご飯だぞと呼ばれる。自室から1階の食卓に向かうと、父親がポツリ。
「お前の好きなコロッケじゃん。母さんなりの『がんばれー』か。」
鼻の奥がじわっと熱くなった。いつもの母親のコロッケ。表面サクッ。中はホクッ。ジャガイモとひき肉の絶妙の配分。
大人になってからわかったことだが、コロッケを作るのは手間がかかる。ジャガイモを茹で、つぶし、炒めたひき肉と混ぜて、衣をまぶし、油であげる。僕の人生の勝負どき、母親はいつもこんな手間ひまをかけてコロッケを作っていたのだ。
僕はいつものように醤油をかけて、コロッケを頬張った。海外生活への不安、家族と離れる寂しさ、母親への感謝。
そんなたくさんの感情と一緒に僕はコロッケを口の中へと小刻みにかきこんだ。そうしなければ泣き出してしまいそうだったから。
美味しい。胸が苦しい。でもたまらなく美味しい。
母親の持病が悪化し、この世を去ったのは僕が25歳のときだった。あれから10年。僕は35歳になり、結婚し、子供が2人。
家庭ではいい父親であろうと努め、会社ではそれなりの地位になった。世間で言えば立派な大人なのかもしれない。
でも、人生なんてうまくいかないことばかりだ。困難に直面し自分の無力さを感じるたびに、自分はまだまだ子供でブカブカのスーツを着て会社に行ってるのではないかと思う時がある。
そんな時は、スーパーの総菜や定食屋でコロッケを買うようにしている。コロッケを口にするたびに母親が応援してくれてるような気がするから。
世の中はすごく冷たい場所で、誰も味方がいないかのような錯覚に陥る時でも、コロッケを食べれば、あの暖かくて柔らかい手でブカブカのスーツを着た僕の背中を母親が押してくれるような気がするから。
母親のコロッケより美味しいコロッケなんてこの世にないけれど、コロッケを食べるたびに「サクッ」「ホクッ」という食感を感じる。
そして、僕は思う。
「ねぇお母さん。いまの俺はお母さんが『がんばれー』って応援してくれるような人生を歩めてるかな?」
そんなことを思いながら、父親として、職業人として、そして人として正しい道を歩もうと思いながら暮らしている。