小学校三年生の時、公園の片隅で寂しそうに一人遊ぶ少女がいて、その表情が気になり声をかけたことがきっかけで仲良くなったのが、隣町の小学校に通う同じ歳のキョンちゃんだった。その後すっかり仲良くなり、私はキョンちゃんの家に頻繁に遊びに行く様になった。
キョンちゃんの家は小屋の様な建物でそこに祖母と両親、兄弟姉妹6人が8畳一間で生活をしていた。両親は仕事で不在、中学生の兄二人も学校が終わると両親の仕事を手伝いに行くため、祖母とキョンちゃんが三人の妹の世話をしていた。祖母は私の訪問を歓迎してくれている様だが言葉が全く分からず、その時初めて私はキョンちゃん一家が韓国人であることを知った。そんな中キョンちゃんは自分が韓国人で尚且つ貧乏だから誰も友達になってくれない。と涙混じりに呟いたので私が「じゃあ。一生の友達になろう」と言うと大喜びで私に抱きつき、そのことを祖母に韓国語で説明をする様子に私は尊敬の眼差しを向けた。満面の笑みで立ち上がった祖母は戸棚から大きな瓶を取り出し、その中から500円玉強の大きさの黄金色の菓子を皿に乗せ差し出してくれた。ほのかに漂う油の香りと、表面の照りの輝きは私の好奇心をそそり、噛むとパリッとした食感と優しい甘みが口に広がり私を虜にした。『ヤックァ』という名の菓子だと教わり「毎日食べに来ていいよ」とキョンちゃんが言った。あまりの嬉しさに帰宅後祖母にそのことを話すと、翌日祖母は「日本のお菓子も食べて頂きなさい」とおはぎをたくさん作ってもたせてくれた。おはぎは大好評で私達は、お互い祖母に作り方を教えてもらい、いつか交換しようと約束をした。
しかしその半年後、いつもの様にキョンちゃんの家に伺うと「今日は遊べない」と言いヤックァが詰まったラグビーボールを一回り小さくしたほどの瓶を私に渡し、悲しい笑みを浮べ家に入ってしまった。意気消沈した私は自宅に戻り、瓶を机の引き出しに仕舞った。そして夕食後、ヤックァを食べようと瓶の蓋を開けると、小さな手紙が入っており「一生のお友達」と書いてあった。不信感を抱いた私は次の日下校するや否や、急いで自転車でキョンちゃんの家に向かったが、そこは既に空き家となりキョンちゃん家族の姿はなかった。自宅に帰り泣きながらそのことを祖母に話すと「きっとまた会えるから、おはぎ作りを練習しよう」と励ましてくれた。毎日手紙を読みながら食べたヤックァも二週間程でなくなったが、私は空になった瓶を洗いキョンちゃんの手紙を入れた。いつか、再会しこの瓶に手作りのヤックァを入れてもらうために。
あれから四十五年。キョンちゃんの消息は分からないが、手元に置いてある手紙入りの瓶の中には、ヤックァを食べながらキョンちゃんと過ごした楽しい日々が今でもぎっしり詰まっている。祖母秘伝のおはぎ作りも習得し、再会準備も整った。小学三年生の時に結んだ友情の賞味期限はまだ切れてはいない。