料理好きである私は、料理上手の母や親戚の叔母から習った家庭料理を「マイ料理帳」と題したノートに書き留めている。一人暮らしを始めた18歳の頃からずっと続けている。その中でも抜きんでて一番作るお気に入りの料理がある。「ばあちゃんの中華白菜炒め」だ。
父親の仕事の都合上、幼小の頃から転校を繰り返し各地を転々としてきた。だから、故郷がどういったもので、どんな場所なのか、よく分からないまま育った。盆と正月は両親の故郷である宮崎へ帰省したが、その土地に特に思い入れもなく郷土料理の冷や汁を食べてもノスタルジーに浸る気持ちも湧いてこなかった。だが、祖母の手から生み出される料理が並ぶ食卓は、私にとって新鮮で特別だった。 母の味しか知らなかったからだ。酸っぱいきゅうりの漬物、煮干しがまるごと入った味噌汁。母も作るのに、ちょっと違う。何よりも驚かされたのは、ばあちゃん臭くない料理にも果敢に挑む姿である。
私の祖父母は、ある事情から叔父夫婦の2人の子供を小学生の頃から引き取り、養っていた。少しでも寂しい思いをさせないように慣れない洋風料理にも奮闘したのだろう。言葉でなく、料理から伝わる祖母の思いに一緒にご馳走に預かる私まで胸が詰まる思いがした。グラタンやハンバーグにミートスパゲティを手際よく軽々と作る身のこなし。和装に割烹着姿の祖母と、その料理のギャップが面白おかしくて、私はいつも台所に立つ祖母の後ろ姿を眺めていた。
「ばあちゃんがいっちばん得意な白菜炒め作っちゃるが。」と言って、さっそうと中華鍋を取り出し見事な火力と目を見張る速さでそれは出来上がった。下味のついた豚肉がこんがり焼かれ、白菜の葉はやんわり、茎はシャキッと炒め片栗粉でとろみをつけた甘酢だれをかけ合わせる。行儀が悪いが、皿まで舐めたほど美味しかった。
大人になっても「ばあちゃん、あれあれ白菜!」と子供のようにせがんだ。せがまなくても、私が会いに行けば「白菜作っちゃるが」と、足腰も弱いのに立ち上がりヨロヨロと台所に向かう。その小さくなった後ろ姿を見た時に、あぁここが故郷だ、と思えた。故郷は場所じゃなくて人でもいい。最後に食べた白菜炒めは油も浮いていたし、片栗粉は固まっていたが残さずに全部食べた。
祖母が亡くなり、しまった!白菜炒めのレシピを聞いておけば良かったと途方に暮れていた時に、何の因果か祖母の遺品の中から一冊の茶色く汚れたノートが出てきた。祖母の料理帳だった。古い歴史書でも読むかのような気持ちでパラパラとめくる。あるページだけ特に汚れがひどい。白菜炒めだった。 手垢と油汚れで文字はつぶれてほとんど読めなかったが、今も私の本棚に置いてある。そして、「マイ料理帳」の記念すべき1ページ目のレシピになった。