私の主人は英国人です。私がお米を愛するように、じゃが芋を愛する人です。
主人と私は遅い出会いをしました。お互いに自分なりの生活パターンがすっかり出来上がってしまっていた歳でした。それでも出会いの頃には、私は自分を変えて、限りなく相手に合わせられるような錯覚に襲われました。そんな私に主人は言いました。
「自分を変えよう、相手を変えようなどと思わず、今の自分達のままでいよう。そしてお互いのルーツは幾つになっても尊重し合おう」と。それからの私達の結婚生活は晴れの日、曇りの日、たまに小雨の日もありました。でも大雨、台風は一度も訪れず、晴れの日が断然多かったように思います。それは一重に、主人のあの言葉を守ろうとお互いに努力をしたせいでしょうか。
あれは結婚から十年も経った頃のことでした。元気だけが取り柄の私が風邪をこじらせ高熱で床に臥しました。とても台所に立てる状態ではありません。主人は心配そうに枕元で何が食べたいか聞いてくれました。料理が得意でない彼は、私の食べたいものを買ってくるというのです。「ローストビーフ?」とんでもない。「サーモンステーキ?」いいえ。私は「お粥!」と答えました。病気の時はお粥に決まっています!すると、そんな物を今まで聞いたことも見たこともない主人の顔は、ただ困惑の一文字となりました。「お粥とは一体何物?」「どんな形をしていてどこのスーパーで売っているのですか?」私は目の前が真っ暗になりました。そうか、この人はお粥を知らないのだ!国際結婚をこの時ほど悔やんだことはありません。私は絶望で布団を頭から被りました。
それから三時間ほど経った後、主人は「これがお粥ですか?」とご飯茶碗を差し出しました。あっけにとられた私。口に含むとそれは確かにお粥、美味しいお米の味がしました。
翌日、日本の母から電話がありました。「もう熱は引いたの?昨日は電話で三回もたたき起こされたのよ。お粥の作り方を教えたけど大丈夫?いい亭主を持ったね。でも高いお粥だこと。」と母は言いました。本当です。わざわざ国際電話をかけなくても良いのに・・・・・。それにしてもよく日本語で母からお粥の作り方を教わったものです。こつこつと続けている日本語の勉強の成果が現れたのでしょう。私は目頭が熱くなりました。
「お互いのルーツの尊重」を提唱した主人も、まさか十年も経ってお粥を作る羽目になるとは思いもしなかったでしょう。主人の愛情と懐かしい母の味。私はお粥の残りを冷凍庫にしまいました。もったいなくて一度に全部は食べられなかったのです。
あのお粥の日から長い年月が経ちました。素晴らしいレストランでの食事もありました。でも美味しい記憶として真っ先に浮かぶのはあの時のお粥です。「お米もいいけどやはりポテトの方がいい」じゃが芋派の彼の味覚はその後も変わっていません。