「私、一人で料理できるんです。よく、姉の好物の春雨サラダを作ります」
得意顔で目の不自由な妹が、介護認定の職員に話している。職員は妹が普通に作っていると思っているかもしれない。
でも、妹が料理をした後は、シンクの隅や中央のゴミ受けの筒の中に沢山の春雨がへばりついている。湯で戻した春雨はザルに移した時、滑り落ちてしまう。
透明なので、目の悪い妹は気が付かない。網膜色素変性症で右目は見えない。もう一方の目の中央部分も見えず狭い視野の中で生きている。
料理を手伝おうとする私の手を振り払い、
「一人でできるよ。出て行って!」
妹は声高に言う。
本を読むことも、階段の上り下りも不自由な妹にとって、せめて料理は一人前にできると思いたいのだ。私はそっと台所を出る。
水の流れる音、包丁のリズミカルな音色を私は食堂のテーブルに手を置いてじっと聞く。 やがて、春雨サラダの載った皿を手に妹が現われる。
「お姉ちゃん、食べて。好きでしょ」
嬉しそうに言う妹に、シンクの中にこぼれた春雨のことは話せない。
レタスとカニカマと共に春雨を箸ですくう。口に入れると、辛子の効いたゴマ風味のたれに絡まって、ツルッとした感触が何とも言えない。レシピも見ず、自分の舌と勘だけで作る妹の料理の腕はなかなかのものだ
食べ終わり、私は台所で後片付けをする。シンクの中の春雨を集める。柔らかだが弾力のある感覚が指先に伝わる。ゴミ袋に入れると、生ゴミの上で、「どうして使ってくれなかったの」と言っているように、春雨は光っていた。
まるで妹の目の不自由さを物語っているようだった。こんなにも見えないのだ。胸がキリキリ痛むと同時に、なぜこんな不運が……。
私は自分の感情を封じるように、ゴミ袋の端を固く結んだ。
空になったサラダの皿を洗う。僅かな視界を頼りに、料理を作っている包丁の音色が蘇る。料理ができると、誇らしげに職員に語っていた妹の顔も。逆境の中で必死に頑張っている。
私も応援してやらねば。リビングの妹の所に駆け寄って言った。
「春雨サラダ、すごく、美味しかった」
「よかった」
ソファーで猫の背を撫でている妹の顔が輝いた。私は嬉しくなり、
「また、作って」
「いいよ」
明るい声が響く。
春雨サラダは、妹が生きている証しだ。