「あっこちゃん、焼きめしやったら食べられるか?」
食が細かった私に子どもの頃よく聞いてくれた父。小学校の給食も全然食べることが出来ず、最後の最後まで私の机の上にだけ給食が残ってしまう日々。いつしか私にとって「食べる」という行為が、つらいことになっていった。そんな中、唯一モリモリ食べられたのが父の作ってくれる、玉ねぎ、ハム、しょう油、塩コショウのシンプル焼きめしだった。その焼きめしの香ばしいかおりにだけ私のお腹は、グーッと鳴った。
そういう私もテニスに目覚めたことがきっかけで、どんどん食欲が増していき、いろいろなものが食べられるようになっていく。それと同時に、父の焼きめしを食べる機会も減っていったのだ。そこから思春期にも入り、父と話すことはなくなった。気づけば私の視界から父が消えていた。
ある日、母から話があると呼ばれて父の部屋に行くと、そこには布団にうずくまった父がいた。
「お父さん、ずっとこの状態やねん。病院にも連れて行ったけど、うつ病らしいわ。」
母の言葉に胸ががらんどうになり、涙さえ出ないような悲しみが押し寄せてきた。私はその日から、うつ病の父と何を話して良いかがわからない毎日を過ごした。
そして、そんな日々を数年過えて、私は結婚し家を出た。そこから五年後、私は男の子を産み、久しぶりに長期間、実家に帰ることに。父は相変わらず布団にくるまっていたが、赤ちゃんの泣き声には反応し、少しずつ、布団から出てくるようになったのだ。私が
「お父さん、抱っこしてみる?」
と息子をさし出すと、
「いや。落としたら怖いからやめとくわ。」
と言いながらも、昔、幼い私に向けてくれていた眼差しで息子をずっと眺めていた。
その後、息子の成長と共に父も変化していった。息子がヨチヨチ歩く頃には、父も息子の手をしっかり握りしめて歩けるまでになったのだ。私とは正反対で何でもよく食べる息子にいろいろ作ってあげたいと台所にも立つようになった父。
「じぃじのちゅくるごはん、おいしい!」
と言って喜ぶ息子の言葉に涙をうかべて微笑んでいる。私の隣で母がソッと耳打ちしてきた。
「お父さん、今、すごく生きたくなったらしいよ。れおの成長を見ていきたいねんて。」
私は、涙が止まらなかった。堰き止めていた感情が溢れ出てきたのだ。
令和五年現在、息子れお9歳。小学校の給食は、三回おかわりするそうだ。「食べている時がホンマ幸せ」とよく言う息子に、ある日聞いてみた。
「食いしんぼうのれおが一番好きなもの何?」
息子は満面の笑顔で答えた。
「じぃじの作る、やきめし!」