「このおにぎり具がないのに、おいしい」
15年前、小学校の遠足で私のおにぎりを食べた友達の言葉です。父が握った大きなおにぎり。塩は使わず、しょうゆを手につけて握り、海苔にもしょうゆをつけて握ります。
しっとりとした海苔の香ばしさと、しょうゆがご飯に染みて、米のおいしさを引き立てます。具はいりません。
私は父子家庭で、おにぎりを交換するとき不安でした。ゴツゴツした不格好なおにぎりだからです。友達のおにぎりは、色とりどりのふりかけがまぶしてあり、きれいな三角形で、アルミホイルもキャラクター模様です。食べるのがもったいないほどオシャレでしたが、味は父のおにぎりに軍配が上がりました。
コンプレックスのかたまりだった私の心が、ほぐれた瞬間です。なぜだか、不思議と自分にも自信が持てるようになったのです。
タクシー運転手だった父は勤務が不規則で、夕飯はいつも私一人。寂しくて、朝炊いたご飯とみそ汁を、冷たいまま泣きながら食べる日もありました。しかし、父のおにぎりをほめられたことで、食(ショク)への関心が高まり、父の料理を分析するようになりました。味付けはしょうゆベースが多く、揚げ物やフライもしょうゆで食べます。この味付けをさらにおいしくするにはどうしたらいいか、研究を重ねました。数十種類の調味料をブレンドしてみましたが、父は
「しょうゆの味が消えちゃってるよ」
と言って、不満げです。
試行錯誤を繰り返し、たどり着いた結論は、シンプルイズベスト。父にはしょうゆ風味を消さない味付けにして、私の分は少し手を加えてアレンジしています。
それでもやっぱり、しょうゆおにぎりよりおいしいものは他にありません。
そんな父と、別れの日が来ました。
私が高校3年のとき、父が失業しました。新型コロナウイルスの影響で仕事が激減し、職を失ってしまったのです。私は高校を退学しようと思い、担任の先生に相談すると、
「いま学校をやめると一番悲しむのはお父さんだよ」
と言って、学校の貸付金制度の手続きをしてくれました。
いまは新聞配達の奨学金を受けながら、地元北海道の薬科大学に通っています。子どものころからの夢だった薬剤師を目指しています。
私の進学と同時に、父は東京で仕事が決まり、上京しました。
北海道から出たことのない父が東京で暮らせるのか、心配でたまりませんでしたが、杞憂だったようです。大好きな巨人軍の試合を観戦できると、喜んでいます。
午前2時半、朝刊配達前にしょうゆおにぎりをがぶりと食べます。私と父の絆の味がします。
父に
「今朝もしょうゆおにぎりがおいしい」
とメールすると、
「しょうゆうこと」
と返信がありました。
私を育ててくれたしょうゆおにぎり。
感謝をこめて、世界平和の祈りをこめて、今日も新聞配達し、そして精いっぱい勉強します。
「一粒に世界平和の祈りこめ(米)」