実家の母は、とにかく自分が興味のないことは、手短に済ませようとする人だった。
料理などはその最たるもので、私は長らく肉じゃがと言うのはジャガイモと豚肉を炒めただけのものだと思っていたし、ハンバーグは粘土のように丸めた挽肉を、ただフライパンで焼くだけだと思っていた。炊き上がったご飯はかき混ぜなくてはならないというのも、家庭科の授業で初めて知ったぐらいだ。もちろん、美味しいと思ったことは殆どない。
そんな母がある日突然、「今夜はホーコーズをつくるわ」と言い出した。
訊き慣れない料理名を耳にし、家族全員に戦慄が走った。
少し前に、知り合いからご馳走になった美味しいおやつを作ってあげると言って、練乳にたっぷりと砂糖を振りかけたものを食わされたばかりだったのだ。
大量の生きたままの魚でも、食わされるんじゃないか?
「咆哮ズ」とでも思ったのか、三つ上の兄は身震いしながら言った。
私はトイレの芳香ボールを、煮物にでもするのかと思った。まだ小学生の私には、ホーコーといえばトイレの芳香剤ぐらいしか、思いつかなかったのだ。
しかし、ご飯が出来たよと言われて台所へ行ってみると、食卓からは意外に美味しそうな香りが立ちのぼっていた。
それは手短に言うと、中華風しゃぶしゃぶだった。昆布だしで煮た豚の薄切り肉と白菜を、油で炒めたすりおろしニンニクと醤油のタレにつけて食べるのだ。シンプルだが、醤油ニンニクに引き立てられた豚と白菜の旨味が、病みつきになる味だった。
「ホーコーズ」は、あっという間に家族四人によって平らげられ、その日以来、我が家の定番料理となった。何しろ作るのが簡単なので、その後は小学生の私が、母に代わって時々作らされたぐらいだ。一人暮らしをするようになってからは、友達を部屋に呼んでご馳走すると喜ばれ、結婚した今では、冬になると何度も作ってよと家族からねだられる。
後から調べてみると、ホーコーズは「火鍋子」といい、中国では昔から知られた鍋のようだった。しかし材料も作り方も複雑で、とてもじゃないが日本の一般家庭では、まず再現出来ないだろう。母が得意の手抜き技で白菜と昆布と豚肉、ニンニクだけに的を絞ったおかげで、小学生の私でも作れる定番料理となり得たのだ。ビバ、手抜き!である。
最近、母が膝の手術のために入院することになった。入院の前夜、久々に実家を訪れた私が、何か食べたいものある?と訊ねると、母は暫く考えたあと「…ズがいい」と言った。
四十年の時を経て、遂に「ホーコー」までもが省略されることとなったようだ。