娘にアレルギーがあるとわかったのは生後6か月の時でした。今はスーパーでもアレルギー対応食品が手に入りますが、娘が小さい頃はまだそういった商品が出回っていませんでした。しかもアレルギーに対する周囲の認識も低かったので、当時はとても苦労した思い出があります。
家での食事にはさほど困らないのですが、外出先での食事が大変でした。最初の頃は、私と娘の弁当を持参していたのですが、ベンチ等がないと食べることが難しく、結局一口も食べずに持ち帰ることが多々ありました。そのため、私は娘の分だけ弁当を作って、持ち込みを認めてくれる店を探しました。しかしなかなかOKをくれる店がなく、弁当を食べさせることを諦めた私は、それからはおむすびを作って出掛けるようになりました。
弁当は立ったままでは食べにくいですが、ラップにくるんだおむすびであれば、どこでもパクっと食べることができます。ベンチや広場がなければ立ったまま食べるなどして、出先での食事を乗り切っていました。
ある時、隣のベンチに娘と同じ年頃の子どもが座りました。その子が食べるソフトクリームに釘付けになる娘。娘が口にしたことのない食材や料理はあまたあります。それらを食べた時に娘はどんな反応をするのだろう?いつになればみんなと同じものを食べさせることができるのか?そんな疑問が次々と頭に浮かびました。
世の中にある様々な食べ物を娘にも食べさせてあげたい。そう思うと、口にしていたおむすびが味気なく感じ、ただ腹を満たすためだけに食べているように思えました。おむすびに対して、何とも言えない物哀しさや切なさを感じるようになったのは、たぶんこの頃からです。
成長と共に娘は食べることのできる食材が増え、外出時の悩みの種だった食事に困ることはなくなりました。もうおむすびを作らなくてもいいんだ!フッと心が軽くなるのをその時感じました。
先日、誕生日を迎えた娘に何が食べたいか尋ねると「おむすびが食べたい」と言われました。私の中でおむすびは、自由に食事ができず辛かった思い出しかありません。しかし娘は違いました。
「いっつも出掛ける時はおむすび持って行ってたね。毎回ピクニックみたいで楽しかった。」
娘にとっておむすびは、楽しい思い出がたくさん詰まった大事な食べ物だったと知り、私は何とも言えない気持ちになりました。
たしかに大変なことも多かったですが、苦労した分思い出がたくさんあります。いつも美味しそうにおむすびを頬張っていた娘。二人で並んで食べていたあの頃を思い出した時、私の中でおむすびが温かい大切な思い出の食べ物へと変わっていきました。
人は何を食べるかではなく、誰と・いつ・どんな風に食事をするかがとても重要なのだと思います。大切な思い出がたくさん詰まっているおむすびが、私と娘の絆をやさしくギュッと結んでくれています。
そんなかけがえのない食べ物・おむすびとの思い出を、これからももっともっと増やしていきたいです。