土曜日、学校から帰って昼ご飯もそこそこ、スキーを担いで山へ向かう。急がないと冬はすぐ暗くなる。スロープは山の中の段々畑。一面雪に覆われ斜度はきつい。滑り降りる快感は一瞬だが、上りはヘトヘト。これを夕方の汽車の汽笛が聞こえるまで繰り返す。
近くにローカル線のトンネルがある。機関車が前照灯をつけて真っ黒い煙を吐きながら上ってくる。それが日没を知る目安だ。袖口や手袋が凍り始めて、耳と頬がキリキリ痛い。もう一本滑りたいが、ぐっと我慢して海沿いのわが家へ急ぐ。帰り着くともう電灯がともっている。今日もまた、「暗くなる前に帰る」という母との約束を破ってしまった。
母は大きな囲炉裏の脇で、醤油だれに漬けた魚や味噌だれを塗った魚を竹串に刺して焼いている。大家族みんなの分なので、赤々とした炭火の周りは焼き魚の林のようだ。その香ばしい匂いは家の隅々まで漂って空腹を刺激する。私は母との約束を破った負い目で神妙にしていると、母は私を炉端に座らせて小声で唄いはじめた。
『カレイっこ焼いで、とっくらがえして、味噌っこつけで、また焼いで……』と繰り返す。手の平を火にあぶって、暖まったら手の甲をあぶる。それはカレイの田楽の焼き方になぞらえた土地の童歌(わらべうた)だ。たちどころに気持ちまでもがポーッと温かくなる。小言を言わない母の気持ちがかえって心に沁みる。焼き上がった魚を大きな皿鉢(さはち)にのせて串をよじりながら抜く。そして、串に残った魚肉を親指と人差し指でスッとこそげ落とし、何度も私の口に含ませてくれる。熱い、うまい。七〇年後の今も忘れないわが家の味と香り。
冬の海が凪いだ翌朝、タラやカレイなどをリヤカーに積んだ魚売りがくる。母は手早く捌いてお酒をちょっと加えた醤油だれに漬けて夕方に焼く。それが家族みんなの晩ご飯のおかずなのだ。焼きたては堪らない。それにみんな一緒の顔が堪らない。
その頃は十人ほどの大家族だった。両親も伯母もとうの昔に鬼籍に入った。六人の兄弟姉妹も自分の息子もそれぞれ独立して遠方に暮らす。広い家には老妻と二人きりだ。
今になってその頃の記憶が冴える。それは、食べ物にまつわる物語があるからだ。頭の中にも心の中にも当時の家族が蘇る。食べ物は単なる食糧ではない。味覚だけでも栄養だけでもない。香り、見た目もさることながら、一番のところは懐かしい想い出を引き戻す妙薬だ。旧家を守る自分の脳裏には一緒に食べて暮らした家族の皆が登場し、そこから豊かな昔語りが始まる。今夜の肴(さかな)はホッケの付け焼き。これはみんなの面影を迎えるのにはうってつけの肴である。