活気のある漁師町で育った。沖には潮目があり身の締ったおいしい魚が捕れる。捕れた魚は近海物として大阪の料亭や鮨屋に運ばれ食通を唸らせているということだ。
漁師は早朝より漁に出て昼には帰港する。私は子どもの頃、昼間からコップ酒を一杯ひっかけて帰宅する漁師さんをよく見かけた。八百屋兼立飲み酒屋の店先で甘辛く煮た干するめの足を肴にコップ酒をおいしそうに飲むおじさんの姿を見かけた。どうせなら家でゆっくり飲めばいいのにとよく思った。おじさんのハードな仕事が上がって一段落したい感覚が分かったのは随分大きくなってからのことであった。
漁師さんが家に戻って居なくなる頃、八百屋から関東煮(「かんとだき」と呼ぶ)のにおいがしてくる。朝に仕入れて売れ残った魚のすり身の天麸羅や厚揚げ、焼豆腐そこに大根やジャガ芋、こんにゃくを入れたおでんである。ごくまれに鯨の皮(ころ)や牛すじが入っていた。関西の薄色の料理と違って濃口醤油・砂糖・出汁(これはすり身の天麸羅や油揚げからも出る)でぐつぐつと薄茶色になるまで煮込んでいるので関東風の煮込みということで関東煮と呼ぶそうだ。
私は夕方におやつとしてこの「かんとだき」を買って食べた。父母は学校帰りの買い食いは許さなかったが、帰宅してからは自由におやつを買いに行かせてくれた。帰宅後、祖母からその日の分の小遣を貰いそれを握り締めて駄菓子屋や八百屋へ行った。小学校三、四年当時に揚げパン八円、かんとだき一個五円であったと記憶している。私の小遣は十五円、その日の気分で何を買うか食べるかは楽しみであった。父は小銭を握り締めて駄菓子屋へ行くことは子どもの社会性や金銭感覚を培うのに最良の教材と考えていたようだ。放課後の解放感と空腹からかちょっと間食するのはとても楽しくおいしかった。
夏場はわらび餅、冬には湯気が立っているきび団子の甘いきな粉の味も魅力であった。これらも八百屋近くに来る屋台の味であり、午後から夕方の下町グルメであり、路地のあちこちからおいしい香りがした。とりわけ香ったのが冬場のかんとだきであった。八百屋もその日の残り物を色々と惜しげもなく煮込んだ。まだまだすべての食品を冷蔵庫に保管できない時代であったので腐る前に煮込んで提供するという合理性も重なって大きな食材がごろごろ煮込まれていた。そこから一個~三個選ぶことが楽しかった。値段も良心的で安価であった。
高学年になると私の定番は「ジャガ芋・すり身天麸羅・こんにゃく」であった。いずれも味が染み込んでおいしかった。私の友は「ジャガ芋三個」のパターンを使うことがあった。煮崩れを防ぐためかジャガ芋は皮を剥いたホールでごろんと大きかった。お得感満載の芋を太い竹串に刺してくれる。友は向きを変えながら落とすことなく完食する。その捌きの良さを私は見習った。
今や八百屋はすべて閉店し、私のおいしい夕方の記憶は薄れてしまった。しかし、時折おでんを煮ると路地裏のあの「かんとだき」のにおいを思い出している。