私の故郷の静岡県御前崎市では、港で朝に水揚げされた近海カツオをその日すぐに魚屋さんで買うことができる。とても安くて新鮮だから、初カツオのお刺身は春の食卓にいつも登場する定番メニューだ。子ども時代を思い返せば兄と弟、それに私の三人兄弟が父母祖母と、大皿のお刺身を囲んでいただく風景が目に浮かぶ。
食べきれなかったお刺身を母はいつも「鮮度が落ちやすいから」と、そのまま冷蔵庫に入れることを禁じた。残ったカツオは薄切りにした玉ねぎと一緒に深めの器に入れて、醤油をトプトプ縁まで注いで一晩置くのも春の定番。
翌日の朝食は、すっかり身がしまり醤油色に染まったカツオと玉ねぎを、それぞれホカホカのごはんに埋めて上からこれまた遠州名物、緑茶をかけていただくカツオ茶漬け。炊き立てごはんと熱いお茶、カツオに玉ねぎは半分煮えて醤油でごはんがうっすら染まる。
カツオの煮え方と味のバランスにこだわる兄。哲学者みたいな顔つきで、ゆっくり待ってじっくり味わう弟。私はいつもたくさん食べたくて、ごはんを入れすぎてお茶を注いで溢れさせてしまう。カツオ茶漬けは美味しくて、朝からご飯が何杯でもお代わりできるくらいだった。
年月が流れ大人になった私たち兄弟は、上京してそれぞれの仕事についた。揃って会うのもお盆や正月の時ばかり。お互いが選んだ仕事と性格の違いから、久しぶりの会話もなかなか噛み合わない。子どもの頃は同じ世界にいたはずなのに、それぞれが孤独な大人になってしまったのだろうか。
ある春のこと、久しぶりに兄弟が同じ時期に帰省した。茶畑の向こうに夕日が映える駅で、私は兄と一緒に、迎えに来てくれた母の車に乗りこんだ。
駅から車で三十分の故郷に向けて走らせながら、一回り小さくなった母が兄に「何か食べたいものはある?」と聞く。「そうだな。カツオの刺身が食べたいよ」と兄が言う。昼に魚屋に行って買ってある、と母。私は驚いて兄の顔を見た。私も同じことを考えていたから。夕食前に帰ってきた弟に「今夜はカツオのお刺身だって」と伝えると「そりゃそうでしょ」と当たり前のように答えた。「どうして?」「だって僕が昨日の電話でカツオが食べたいって伝えたもん」したり顔で言う弟も、私や兄と同じことを考えていたとは。その晩は母と兄弟四人で食卓を囲んだ。テーブルには山ほどのカツオの刺身と白いごはんにお味噌汁。
夕食を食べながら「後でカツオを醤油に漬けるから、全部は食べるなよ」と兄が言うと「そのために多めに買ったのよ」と母が言う。「僕さ、刺身より次の日のカツオ茶漬けが好きなんだよね」と弟。私は台所で玉ねぎを薄切りにして器に入れた。食後に母がカツオを加え、たっぷりと醤油を注ぐ。トプトプトプ。明日の朝が待ち遠しい、嬉しくて美味しい音だ。
翌朝私は、並んでカツオ茶漬けを食べている兄弟の茶碗を見て微笑んだ。三人とも昨晩よりも、大盛りでごはんをよそってある。
そしてそれぞれの食べ方は、相変わらず健在だ。