私の父は、食べることが大好きな人だった。その食い意地が高じて、食材選びから調理にまで口や手を出すようになり、定年後は「専業シェフ」として、台所に君臨した。
父の料理の腕前はなかなかのもので、和洋中華とレパートリーも広かった。
ただ一つの問題は、「味付けが濃い」ということだ。油も砂糖も、「これでもか」というほどたっぷり使う。美味しいことは美味しいけれど、いかにも体に悪そうだし、時にはくど過ぎる。私も母も、あとひとさじ入れる入れないで、よく父とやり合ったものだ。
そんな父も、母をがんで亡くしたのち、自身も末期がんで余命告知を受けてからは少しずつ活力を失い、やがて一日の大半をベッドですごすようになった。
そこで私は、父のベッドを寝室からLDKに移した。そうすれば、自分で台所に立てなくても、私が料理する様子を見ていられる。その方が、食欲もわくだろうと考えたからだ。
もちろん、おとなしく見守っている父ではない。ベッドに横になったままでも、私にあれこれ指示を飛ばしてきた。
ある日父は、「フレンチトーストちゃ、どんな食いもんや」と言い出した。TVのグルメ番組で見て、気になったらしい。
ちょうど、厚切りの食パンが一枚残っていた。食欲の落ちている父と、ダイエットの必要がある私なら、二人分の昼食にちょうどいい。
パンを浸す牛乳を調合していると、レシピも知らないくせに、父は口出ししてきた。
「練乳があったろうが。あれも入れたらええ。」
分量の砂糖は入れたのに、このうえ練乳も。甘すぎるんじゃない、と思っても口には出さず、私は「はいはい」とチューブを絞った。
さて、パンを牛乳から出して焼こうとすると、またダメ出し。
「まだまだ。もうちょい長う漬けとけ。」
これにも、黙って言うとおりにした。
その頃の私は、父の好みにいっさいケチをつけなくなっていた。何であれ、父の望むようにしてあげたかった。たとえ、パンはぐずぐずに崩れ、辟易するほど甘ったるくなったとしても。
思いがけないことに、できあがったフレンチトーストは、自分史上最高の味だった。ぶ厚いパンの中心部まで液がしみ込んでやわらかく、練乳のねっとりした甘みは、焦げたバターの風味をよく引き立てていた。父は上機嫌で、トーストの半切れをぺろりと平らげた。
しかしその日の夕飯どき、何を勧めても、父は「いらん」と首を振った。お昼の甘みが胃にもたれているんだろう、明日は何かさっぱりしたものでも作ろうか。私はそう考えて、自分ひとりの夕飯を簡単に済ませた。
ただ食欲がないだけで、いつもと変わらぬ様子だったのに、夜が明けるころ、父は静かに息を引き取った。父の最期の食事は、自らアレンジした、人生初のフレンチトーストだった。
今も私は、父の「これでもかレシピ」でフレンチトーストを焼いている。練乳なしのフレンチトーストなんて、もの足りなくてしかたがない。