今年も筍の季節がやって来た。嚙めばさくさく、ほどよく硬くて若々しい風味。
嫁いで間もない頃、フルタイムで働く私を気遣って、義母がよく夕食を作ってくれた。
農家の献立は、採れたての野菜が中心。春ともなれば、夫が山のように筍を掘り起こす。いきおい筍の煮物が連日膳に上る。
身重だった私は、その匂いを嗅いだだけで、吐き気が込み上げそうになった。
「妊婦はすっぱい物を欲しがる」と思われがちだが、人によって欲する物は異なる。
私の場合、なぜかうどんが恋しくてならなかった。鰹だしの効いたおつゆ、ふっくら甘辛いお揚げに、こしのある白い麺。
今晩、うどんだったらいいのに……。
期待すれどむなしく、玄関を開ければ、またしても煮物の匂い。箸を付けようとしない私を見かねて、義父が持論を語り出した。
義父によると、筍は一日二十cmから三十cmほど伸びるという。かぐや姫が生まれるのもむべなるかな。勢い盛んな竹は生命力の証。
「筍を食べると、丈夫な子が生まれるんや」
義父はそう締めくくると、にっこり笑った。鰯の頭も信心から。元気の源と思えば、にわかに有り難い食べ物のように見えてくる。
恐る恐る口に含むと、鶏肉のだしがよく染みて意外とおいしいかも……。さくさくした食感も心地よい。今まで苦手と遠ざけていたが、食わず嫌いだったようだ。その日から私も婚家の食卓に馴染み、筍を愛する家族の一員となった。
あれから三十年が経った頃、娘が浮かぬ顔で里帰りしたことがあった。聞けば二、三日前からつわりがひどいらしい。
折しも春。鍋の中で鶏肉と筍がグツグツ煮えている。辺りに立ち込めるだしと醤油の匂い。吐き気を催さないかと心配する私をよそに、
「いいなあ、家に帰ってきたって実感が湧く」
と娘は頬を緩めた。彼女にすれば、これが我が家の匂いなのだろう。
毎春、掘ったばかりの筍を大鍋で茹でる母親を見て、この子は育った。夫が鬱病で苦しんだときも、私はひたすら筍を煮た。
「これを食べたら、きっとお腹の子もすくすく成長するよ」
私が太鼓判を押すと、娘は自分のお腹を愛しそうに撫でた。二度流産を経験した彼女にとって、出産は長年の悲願。今は亡き義父を思い出しながら煮物を出すと、娘は懐かしそうに口元をほころばせた。
あのときの料理が効いたのだろうか。娘は流産もせず、元気な女の子を出産した。
かぐや姫が登場する平安時代、女性は髪が長いほど美人とされていたそうな。赤ちゃんは漆黒のふさふさとした髪で生まれてきた。これも筍のお陰というべきか。
あれから五年。来春小学校に上がる孫娘も、筍が大好き。母から娘へ、我が家の味は続いていくのである。