「キッチン」ではない。「台所」でもない。細長い囲炉縁(いろぶち)(囲炉裏)の横にはムシロの敷かれた板場(いたば)(板の間)があり、食事時になると飯台が出された。幼い私達三姉妹は腰の曲ったばあちゃんの「ほらあ ねらぁー(おまえ達)、まんまだぞぉー。」のひと声で、そこへ集まって来て食事をするのだ。当時は七人家族だったが商売をやっていたので七人がいっしょに食卓につくことはなく、子供達が先に済ませる。その、ぶ厚い一枚板の飯台も あちこちに亀裂が入っていたし、鼻を近づけると、いろいろな料理が浸み込んだような臭いすらしたものだ。最初から あめ色に塗ったのではなく鍋からこぼれた汁や茶碗から落ちた食べ物が長い年月と共に いつの間にか臭いといっしょに飯台全体をあめ色に染めてしまったかのようだった。そこは一家団欒の場となることもなく、皆の食事が済めば、すぐ部屋の片隅に立て掛けられ、天井から吊るされた裸電球も消された。おそらく、そこは部屋ではなかったようで間仕切りの戸もなく、二階への階段は見えていたし木のふたをした内井戸もあり、豆腐の製造販売をしていたので、そこで作業中の母の後ろ姿もかいま見ることができる場所だった。そんなゴチャゴチャした風景の中でも飯台を出すと、一家には“まんまを食う所”になってしまう。そして、その飯台の上によく登場したのが、ばあちゃんの作った“なすの味噌炒め”。なぜか、この料理がまず一番に思い浮かぶ。何のことはない、材料は、なすと味噌。味噌はどこの家でも自家製だったと思う。私は、そのなす炒めに入っている少しトロっとして、少し甘みもあった味噌が好きで空鍋になっても、またちょっとばかりご飯を入れて鍋の内側にこびりついている味噌となすの切れっぱしなんかもいっしょに混ぜ合わせて食べたものだ。今でも時々作るのだけれど、あの頃食べた味とは何かが、どこかが違う。もう自家製の味噌ではないので、もしかしたら味噌の違いかな? それも考えられる。ところが去年の夏、使い残しの大葉をちょっとアクセントにと思い、刻んでなすの味噌炒めに入れたところ、何と!!
一気に昔の記憶が甦ったのだ。これこれ!!
この、鼻をくすぐるような甘味噌に混じった大葉の香り。いや、昔は“大葉”なんて言わなかった。“シソ”“シソの葉”と言っていたではないか!! その薄っぺらな、ほんの数枚のシソの葉を入れただけで、大袈裟だけれど何十年も前の記憶と味が口の中いっぱいに広がるなんて――。これだよね?ばあちゃん!!そういえば、おにぎりに味噌をぬって海苔の代わりにシソの葉をペタッと貼りつけ、七輪の上に金アミを渡して焼きおにぎりにもしてくれたっけ。そうだよね?ばあちゃん!! それも旨かったなあ――。
目の前で、戸口につかまって腰を伸ばしたばあちゃんが、こっちを向いてニコッと笑ったような気がした。おいしい想い出をありがとね。