私が小学一年生の頃の家庭訪問は、放課後、生徒が先生を家まで案内する決まりだった。
私は先生と手をつなぎ、つつじが咲く遊歩道をスキップして歩いた。先生はきれいで優しく、人気者だ。家までの距離がある分、先生を長く独り占めできる。心は大いに弾んだ。けれど、あることに気がついた。
(家にいるのがお母さんじゃなくて、お手伝いさんだって知ったら、先生はびっくりするかもしれない。)
母を亡くしたのは、入学前。物心ついたときから母は病気で入院しており、一緒に過ごした記憶はほとんどない。幼稚園の行事には、いつも親戚の誰かが来ていた。寂しかったし、自分だけみんなと違うことが嫌だった。
親戚ならまだしも、今日は赤の他人のお手伝いさんだ。先生がそれを知り、眉をしかめる様を想像した。先に自分で言ってしまおう。
「先生。うち、お母さんおらんの。」
自分の放った言葉は、予想以上の強さで胸に跳ね返った。自分で自分を傷つけてしまった。
私の足はピタリと止まり、前に動かなくなった。じんわりと涙もこみ上げてきた。
すると、先生が明るく声をかけた。
「休憩しようか。」
先生は、小道の脇にあるベンチにすとんと座った。カバンから小さいタッパーを取り出し、青いふたを開けた。私に差し出されたのは、丸いビスケット。二枚のビスケットの中に、イチゴジャムが挟んである。
「一緒に食べよう。」
「え、いいの?」
先生とお菓子という意外な組み合わせにとまどいながら、受け取った。
サクッ。香ばしいビスケットと、イチゴジャムの酸味が口の中に広がって、つばがジュワッと出た。おいしくて、二個目、三個目と平らげた。
「みんなには、ナイショだからね。」
先生が、いたずらっぽく笑った。ビスケットをほおばる間、そこだけ別空間になった。タッパーに敷かれた花柄のナプキンや、ビスケットからはみ出たジャムの赤さ、今でも目に焼き付いている。
父子家庭ということは、当然、先生はご存じだったはずだ。そんな私だけに、先生がビスケットタイムを設けてくれたのだと思う。
今でも「家庭訪問」と聞くと、口の中が甘酸っぱくなる。
大人になって何度かビスケットサンドを再現しようと思ったが、やめた。これは、寂しさを一瞬でも忘れさせてくれた、尊いお菓子だ。気軽に作ってよいものかと、ためらってしまう。
もし作るなら、私の子供たちに作ってあげたい。同じようにタッパーに入れて、天気のよい日、公園に持っていこう。先生がくれた優しさを語り聞かせながら、ありがたく食べるのだ。