「今日は何なら食べられそう?」と朝起きてきた私に、母が尋ねた。
「鍋焼きうどん」と言うと、魔法を使ったのかと思うくらい短時間で、揚げたての竹輪天の乗った鍋焼きうどんが出てきた。私は朝にも関わらず多めの1人前をペロリと平らげてしまった。
2か月前、私は妊娠による悪阻がひどく、常に酷い車酔いのような状態で食事がとれなかった。しかし夫は激務で家にいない為、遠方に住む母の実家で私の面倒を見てもらうことになった。
次第に悪阻も落ち着き、今度は急激にお腹が空くようになった。
毎食、チーズを挟んだはんぺん揚げ、豚汁、石焼きビビンバ、五目焼きそば、思いつく限りのものを「お母さん作って」と私は小さな子どもの様に母に甘えた。気が付くと、リクエストしていたものは小学校~高校のころ、よく母が作ってくれたメニューばかりだった。昔のようにテレビを観ながら母と一緒に食べる食事。高校を出てからこんなに長く一緒に過ごすのは初めてだった。毎食後母は「まあ、全部食べたの?」と笑いながら空の皿を覗いていた。新しい命と、母の優しさでいっぱいになった私のお腹はどんどん大きくなった。
ある日「ちょっと帰りが遅くなるかも」と母は行き先を言い淀んで出かけることがあった。その後も何度かそういう日があり、帰ってくると考え込んでいる様子だったが、私は仕事だろうと思っていた。
クリスマスソングが流れ始めた頃、母が「お雑煮を作るから台所へおいで」と私を呼んだ。「あなたはいつもお正月仕事で帰って来られなかったから、お雑煮の作り方を見せようと思って」と出汁の取り方から教えてくれた。
透き通った醤油と鶏ガラの良い香り。久しぶりに食べたお雑煮は体全体に旨味が沁みていくようで、とても暖かい味だった。
それからすぐ出産準備のために自宅へ帰ることになり、母が家まで付き添ってくれた。片道五時間、旅行にいくかのように冗談を言いながら新幹線で過ごし、あっという間に私の家に着いてしまった。
玄関で「じゃ、帰るね」と明日も会えるような口調で去ろうとする母を、私は「ありがとう」と抱きしめた。ほっそりとした小さな肩。2019年12月だった。
年が明け、お腹の子は元気に育っていた。テレビでは新型ウイルスの報道が日毎に増えていた。同じ頃母からの連絡が減り、不審に思い問い詰めると「入院した」と返信がきた。「大丈夫だよ」としか教えてくれなかった。
春になり元気な男の子が生まれた。写真を添えて「お母さんのご飯で育った子だよ」とメールをすると母はとても喜んでくれた。そして「癌で入院していた。妊娠中に心配かけたくなくて」と母は電話口から言った。新型ウイルスの感染拡大で私たちはずっと会えずにいた。友人はおろか、親族にさえ会えなかった。外食は一切せず毎日家で料理をしながら、ふと母の作ってくれたご飯が無性に恋しかった。
2022年春私はお雑煮を作っていた。2歳になった息子と、夫と私、そして今日初めて孫に会う母の4人分だ。