父方の祖父母の家は、瀬戸内海を見渡す山の途中に建っていた。海側に建つ離れの窓を開ければ、遠くに穏やかな青い海と行き交う船が見える。豆粒みたいに小さく見える漁船に、遠くから見ても大きさがわかるタンカー。耳をすませば潮風にのって微かに波の音と、潮の香りが鼻をくすぐった。
幼い頃は夏休みのたびに祖父母の家へ泊まりに行った。海と山、どちらも遊び放題選び放題の、人が住んでいる家より田んぼが多いような、そんな典型的な田舎だった。海から続く一本道を上がって小さな祠が見えたら、そこから少し上がったところが祖父母の家だ。上に登ればみかん畑、ずんずん下れば海に突き当たる。
夏休みになると水着のまま家を出て、毎日のように海遊びに勤しんだ。そうして水着のまま祖父母の家に帰ると、いつもひょっこり台所から顔を出した祖母が「おかえり。おむすび食べ」と、にこにこ笑っていた。
はあい!私は元気よく返事をして急いで着替える。泳いで遊んで腹ペコになった私には、おむすび、という一言が魔法の言葉のように思えたものだ。
「屋根、用意しといたけんね。火傷せんようにね」
屋根に敷かれたゴザに、しょっぱい海苔巻き塩むすび。いつ行っても冷蔵庫に冷やされていた瓶のサイダー。祖母が海遊びの帰りに用意してくれている定番の組み合わせ。
離れの二階に続く階段を駆け上がって低い窓をひょいと登ると、ちょうど駐車場の屋根に出ることができた。昔ながらの瓦の屋根の手前、ちょうど屋根のてっぺんに、子供が座れる用のゴザが敷いてある。
「暑いけん、食べたら戻っといで」
塩むすびがこれでもかと乗った皿を持った祖母が告げる。海でくたくたになるまで泳いで遊んだ後、「お腹空いたやろ」と差し出されるその塩むすびが、私は大好きだった。
おおきくおむすびにかじりついて前を見れば、空の青と、海の青。トーンが違う青が混ざり合って、車が一台も通っていない国道がよく見えた。ちょうど田んぼの稲や雑草が茂る頃、空の青から少し視線をずらせばこれまた青々とした緑が広がっている。
「うまぁ!」
思わず告げて、もうひと口塩むすびを頬張る。祖母のおむすびはいつもちょっとしょっぱくて、それでもそれが疲れた体に染み渡って、今でも覚えているほどに美味しかった。
いつもより塩がきいたそのおむすびの塩の塩梅こそ、祖母なりの愛情だったのだと気づいたのはおとなになって、自分でおむすびを作るようになってからだ。
あれから何十年も経って、夏が来ると思い出す。今は朽ちて登れなくなった屋根から見た風景と、祖母が握ってくれたおむすびのことを。
そうしてそのたび、会いたいなあと思う。そしてそれと同時に、祖母が心の中で生きているのを感じる。
自分で握ったのでは何か違う、祖母のあのおむすびが、あの屋根の上で食べたい。
そうして今年の夏もほかほかのごはんをあちちとのせて、ちょっとしょっぱいおにぎりを握るのだろう。「ばあちゃんの味とは違うんよなあ」なんて、そう思いながら。