ただただ、ぼーっとしながらホットプレートで焼きそばの袋麺を炒める。低温でゆっくり。美味しそうという感覚もなければ、これが食べ物であるという感覚もない。チリチリという音とともに麺は徐々に水分が飛んでほぐれていき、お箸を動かす感触も軽くなっていく。
今から8年前の夏、私は適応障害という病になっていた。お盆休みだというのに連日続く長雨で、気分はさらに落ち込み、体重は6キロも落ちていた。当然、食欲もない。食欲がないのに、家族のご飯は作らなくてはいけないという強迫観念に追い回され、朝が終われば昼、昼が終われば夜、夜が終われば明日の朝と、食事のことばかりを考えていたので、お盆の休みの間、夫が食事を作ってくれるのは有り難かった。「昼メシ、なんか食べたいものある?」と聞かれ、特に食べたいというわけではなかったが、以前作ってもらったことがある「あんかけ焼きそば」をリクエストしていた。
あんかけ焼きそばは、牛肉、筍、ピーマンの細切りともやしを炒め、甘辛く味付けした生姜を効かせたあんと絡めて焼きそばの上にのせていただく夫の得意料理。買い物から帰ってきた夫は忙しそうに台所に立ち、かた焼きそばを作ることを私に命じた。ホットプレートで家族4人分の麺を炒める私は、無の状態でお箸を左右に動かす。仕上げにかかった夫は家族みんなに「どれくらい食べる?」と聞きながら、答えに応じたお皿を用意し始めた。「少しでいい」という私に、ホットプレートの上のかた焼きそばの出来栄えを見た夫が大声で褒めた。「この麺の炒め方、抜群のパリパリ具合やん!」
適応障害になってからの私は家族の厄介者でしかなく、迷惑ばかりかけているという後ろめたさが拭えなかった。臥せってばかりいた私が、発病後、初めて誰かの役に立てたのが、この焼きそばを焼くという作業であった。久しぶりに沸き起こる自尊感情で、涙が出てきた。焼きそばを炒めただけではあるが、低温で根気よく、じっくりと炒められた麺は、余計な水分が飛んでパリパリに仕上がり、とろりとしたあんとの相性は抜群。お箸で麺とあんを絡めながら口に運ぶと、異食感が楽しい。「うまい、うまい」を連呼する息子に、自分の作品に満足げな夫。誰も私を腫れもの扱いすることもなく、食べることだけに集中している。こんな日常の風景が、真っ暗な闇の世界から彩を持つ世界に呼び戻してくれた。私にもできることがあるという小さな自信と喜びは、洗濯物が干せた、朝食が用意できたというスモールステップを踏みながら、日常生活を取り戻すきっかけとなった。
今も時々食べたくなるあんかけ焼きそば。夫にレシピを教わるも同じ味にはならない。私を快方に向かわせたそれには、なにか特別なスパイスが入っていたのだと思う。