「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第13回

一般の部(エッセー)

キッコーマン賞
「愛しのがんも」
片山 ひとみさん(岡山県・59歳)
読売新聞社賞
「Kさんの漬物」
川原 正路さん(東京都・46歳)
優秀賞
「『おいしいね』と言える食卓」
藤澤 文恵さん(北海道・41歳)
「涙のあんかけ焼きそば」
長瀬 美紀さん(滋賀県・53歳)
「土筆」
朝岡 真紗子さん(愛知県・75歳)
「煮え花の魔法」
浅野 理恵さん(福島県・41歳)
「しょっぱい思い出」
谷本 有規さん(香川県・33歳)
「父のわがまま」
清水 真菜子さん(広島県・50歳)
「味でつながる心」
渡部 八恵さん(愛媛県・45歳)
「息子と私が食べたもの」
竹田 奈那さん(愛知県・34歳)
「父の味、僕の味」
花上 聖弥さん(東京都・25歳)
「心に残るお寿司」
田中 啓子さん(埼玉県・80歳)

小学校低学年の部(作文)

キッコーマン賞
「え顔がいっぱいお味そしる」
土畑 瑠璃さん(和歌山県・8歳)
優秀賞
「りんごで一番大作せん」
植木 快さん(東京都・8歳)
「のっぺ」
須田 歩さん(東京都・9歳)

小学校高学年の部(作文)

読売新聞社賞
「あまくて温かかった白米」
大野 晴生さん(埼玉県・10歳)
優秀賞
「夜食のおにぎり」
尾崎 空さん(和歌山県・11歳)
「ホクホクの豚汁」
澤頭 俊乃介さん(岐阜県・10歳)

※年齢は応募時

第13回
■一般の部(エッセー)
優秀賞

「心に残るお寿司」 田中 啓子 たなか けいこ さん(埼玉県・80歳)

 私は食べ物に関して好き嫌いはありません。好き嫌いがないと言うよりは、できなかったと言う事です。魚、肉、野菜など何でも食べます。何であれ食べ物があると言う事は幸せな事です。そんな私にも八十才の生涯の中で心に残る食べ物があります。私が三才の時に中国へ出征していた父が戦死し母は二十四才で寡婦となってしまいました。私は父の記憶がありません。その頃東京の大森に住んでいたのですが空襲に合い母は三才の私をおぶい六才の兄の手を引いて戦火の中を逃げ回り 何とか生きのびたものの家はなくなりました。祖母のつてを頼りに埼玉の岩槻へ疎開してお寺のはなれを借りて母子三人の生活が始まりました。母は職もなく生活保護を受けていましたが苦しい毎日でした。一週間何も食べず水だけ飲んでいた事もありました。お寺のお墓のお供へものを食べた事もあります。

 学校へ行っても、その頃は給食もなく、弁当もなかったので昼休みは毎日一人で校庭で遊んでいました。兄は中学を出るとすぐ里子に出され 母娘二人の生活となりました。母は 洋服作りの職人さんの家へ住み込みで仂く事になり私はコブ付きで母の部屋で暮らす事になりました。早く大きくなって仂きたいと、ひたすら我慢の日々でした。そして中学を出ると母と一緒に洋裁の仕事をするようになりました。洋服店のご主人はとてもキビしい人でしたが、今思って見ればお陰で洋裁の仕事をミッチリ仕込んでもらい、のちには随分と頼りにされる程になりました。何とか母の助けになればと思い仕事にはげみました。

 母は私が厄介者で冷たくされるのを見て自分の事以上につらかったのだと思います。ある日母からこんな事を言われました。『啓子二人で死んだお父さんの所へ行こうか』私はビックリして『お母さん私はどんな嫌な事でも我慢するからそんな事を言わないで』あの時私がもし同意していたら今日はありません。そんな苦しい日々が続いていた頃に運命の日を迎えたのです。私が二十二才の春でした。生れて始めてお見合いをする事になったのです。お仲人さんの家で相手の男性と会い色々と話をしていて丁度お昼だと言う事でお寿司が出たのです。これが運命の食べ物であったのです。私は魚が好き、刺身が好き、そして寿司も大好物でしたから緊張しながらもキレイに全部頂きました。そしてあとで仲人さんの仰るには、あの場で出された物を食べたと言う事は相手が気に入ったと言う事でこの縁談は断れませんよと言われ私はビックリそんな事は聞いてませんでしたから。あの状況で寿司を食べないと言う事は私の選択肢にはありませんでしたね。あとで聞いた話では相手の男性も始めての見合いで食べたらOKなどと言う事は聞いていなかったとの事でした。

 でもこれがご縁でそれから丸一年間お休みの度にデートして結局ゴールイン。今の主人がやさしくまじめな人で二人の男子に恵まれ、今は孫もいて人生で今が一番幸せです。

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