「美味しいって言わないでね」
卵、小麦粉、胡麻がアレルギーで食べられない次女を気遣って、長女にはよくこっそりとそうお願いしていた。まだ幼かった長女は、そう言われると神妙な顔つきになって、一度でも次女の目の前で、その言葉を発したことはなかった
アレルギーの数値は大きく、小麦粉を台所でこぼしただけで、リビングにいる次女が真っ赤な顔で咳き込んだりするほどで、掃除にも気を遣った。代替食はもちろんのこと、特に気を付けたのは次女の食べるものを食卓に出してから、長女の食べるものを出した。どんな育児書にもそんなことをしたほうがいいなどとは一言も書いていなかったのだけれど、目の前の美味しそうなものを、自分だけが食べられないとなったら余計に食べたくなるのではないか、と勝手に気を付けていた。
もうこの子は一生アレルギーなのだと覚悟を決めていたのに、小学校入学前の血液検査を受けたところ、数値が下がって食べられるほどになっているという。給食をみんなと同じもので大丈夫だなんて、想像をした事もなかった。
さっそく家で食べさせて様子を見ようと、まずは確実に火の入る、おでんのゆで玉子を食べさせてみることにした。
鰹出汁の濃い香りが立ち上る土鍋の中で、しっかり芯まで固茹でになったゆで玉子を半分に切ると、お醤油の色がじんわりと白身に滲みていて、いかにも美味しそう。大好きな大根や蒟蒻も盛られた器から、次女は何の躊躇いもなく、ゆで玉子を箸でしっかりと掴み、一口でぱくり真顔でもぐもぐごっくん。あまりの早業に、ただ口を開けてみていた私に、大きな目をさらに見開いて、ゆっくりと言った。
「たまごって、おいしいねぇえ・・・・・・ 」
私は一言も言葉が出てこない。すると長女がさも当たり前かのようにさらりと言った。
「違うよ、ママが美味しくしてくれてるんだよ」
初めての味の余韻を味わうように、じっと器を見つめていた次女が、ぱっと顔をあげて満面の笑みを浮かべた。
あの頃、シングルマザーとなった私は仕事を掛け持ちしていて、休みは三カ月に一度あるかないかという生活だった。アレルギー以外にも子供達は、私には言わない我慢がたくさんあったと思う。忙しなさに荒み、頑張っても頑張っても追いつかないと爆発寸前の私を、長女の言葉がふわりと包んでくれた。
私には子供達のためにできることがある。とてつもなく凄い事ではないけれど、私が美味しくしたご飯でお腹を満たす事をなによりも大切にしよう。
その後の生活の碇となってくれた一言だった。
先日、高校生になった次女に、初めての玉子はどれほど美味しかったのか聞いてみた。辛い時期の事柄は、良いも悪いも忘れられず、ふとしたきっかけで思い出してしまうことが多い。しかし当の本人は何も覚えていないとのこと。拍子抜けと同時に、特別に美味しかった記憶がなくて、ホッとした。大学生になった長女とお腹いっぱい笑った。