「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第3回
キッコーマン賞
「父のしぐれ煮」
坪井 理恵さん(兵庫県)
読売新聞社賞
「ビタミンカラー弁当」
常世 ゆかりさん(長野県)
入賞作品
「母二人の手料理」
平塚 ゆかりさん(東京都)
「焼き蛤を食べたがよ」
澤田 俊迪さん(東京都)
「アメリカの味」
岑村 隆さん(長野県)
「おそらく一番」
岸島 正明さん(神奈川県)
「ハルちゃんのタマゴ記念日」
高見 知恵さん(兵庫県)
「風邪にワイルドカレー」
阿部 磨里子さん(千葉県)
「おでん屋のオヤジ先生」
東山 貢之介さん(兵庫県)
「おいしいトマトの食し方」
込山 絵美子さん(千葉県)
「私の宝物」
石部 洋子さん(兵庫県)
「神様からのおにぎり」
滝澤 和弥さん(東京都)

※年齢は応募時

第3回
入賞「おでん屋のオヤジ先生」東山 貢之介さん(兵庫県)

 会社の顧問が退職しておでん屋をはじめるという。「人生あと何年生きるかわからない。昔から客商売を一度やってみたかった」

 長年、経理一筋で勤めてきた人にそんなことが出来るだろうか、と半信半疑でいたところ、本当にミナミの盛り場で店を開いてしまった。夜七時から翌朝五時まで、これまでの暮らしぶりとはまったく違う昼夜逆転の生活だ。

 開店早々、仕事帰りにのれんをくぐると、顧問はすっかりおでん屋のオヤジに変身、仕込みの真っ最中。業務用のおでん鍋には、だいこん、厚揚げ、じゃがいも、こんにゃく、ごぼう天と定番の品がそれぞれのブースの中に規則正しく並んでいる。

「いっぺんこれ食べてみて」。差し出されたのは「だいこん」。「もっと味が浸みなあかん」と一人前に答えると「まだあかんか。おでんはダシが命やからな」と苦笑い。

 顧問の信条は昔から亀のようにゆっくり歩むこと。日々研鑽はかかさない。すじ、たこ、コロなど、店を訪ねる度におでんの種類が増えた。一年経つと「だいこん」にはすっかりオヤジの味が浸み込み、ほどよくやわらかく、ほっこりして店一番の売れ筋商品となった。

「ところで、その後、仕事の方はどない」仕事の話になるとオヤジは突然、先生になる。聞かれるままに話していると「そんなことやからお前はいつまでたっても進歩しない」。おでんの仕込みもそっちのけで、まいかけのポケットから伝票を取り出し、その裏に説明書きをしながら教えてくれる。時々、とんちんかんな質問をすると、まるで不肖の息子を叱るように「これがわかるようになってから来い」と突き放された。

 しかし、どういうわけか、盛り場ミナミの喧騒の中、おでん屋の一枚板カウンターで聞く先生の話は不思議とすんなり頭に入った。

 常連客も年を追うごとに増え、早い時間に訪ねないと客の出入りが多く、忙しくなって先生のレクチャーもしばしば中断した。

 ある日、店に行くと閉まっている。風邪でも引いたかと見舞いの電話をすると、体調を崩して入院していた。一カ月ほどして再開した。病み上がりで少し頬がこけていたが、カウンターの中には、いつもと変わらぬ頑固オヤジの姿があった。「あと三年くらいやな」とぽつりと誰に話すともなくいった。

「0を発見したインド人はえらい」。理数科出身で博識、突然、思いもつかないことをいうクセがあるだけに、独り言は何やら予言めいて感じられた。

 開店して七年、オヤジは肺がんで亡くなった。

 おでんを食べるたびに思い出す。叱咤激励とほっかほかのおでんが、どれだけ心を温かくしてくれたことか。

 オヤジと客、先生と生徒として過ごした日々のおでんの味は忘れられない。

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