「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第3回
キッコーマン賞
「父のしぐれ煮」
坪井 理恵さん(兵庫県)
読売新聞社賞
「ビタミンカラー弁当」
常世 ゆかりさん(長野県)
入賞作品
「母二人の手料理」
平塚 ゆかりさん(東京都)
「焼き蛤を食べたがよ」
澤田 俊迪さん(東京都)
「アメリカの味」
岑村 隆さん(長野県)
「おそらく一番」
岸島 正明さん(神奈川県)
「ハルちゃんのタマゴ記念日」
高見 知恵さん(兵庫県)
「風邪にワイルドカレー」
阿部 磨里子さん(千葉県)
「おでん屋のオヤジ先生」
東山 貢之介さん(兵庫県)
「おいしいトマトの食し方」
込山 絵美子さん(千葉県)
「私の宝物」
石部 洋子さん(兵庫県)
「神様からのおにぎり」
滝澤 和弥さん(東京都)

※年齢は応募時

第3回
入賞「母二人の手料理」平塚 ゆかりさん(東京都)

 教師をしていた私の母は忙しく、休みの日にはきまって、肉とピーマンのいためものが食卓にのぼった。あまり料理に手間をかけられない母だったが、その素朴なしょうゆ味はいかしていた。フライパンでいためるいい臭いが、今でもただよってくる気がする。私は幼いくせに、ピーマンが大好きだった。普段帰りもおそく、なかなか一緒の時間をもてなかったが、休みの日の食事は楽しかった。私のことは、全力で愛してくれた。

 そんな母が、中二のとき亡くなった。一人っ子でのほほんとしていた私は、事実を受けとめきれず、途方にくれ、ぼんやりとした日々をおくった。

 しばらくして、父娘の生活を心配した叔母の世話で、新しい母が、我が家にやってくることになった。理解しようとしても、対応しきれない自分がいた。

 慣れるためにと、土日のたびに通いはじめた母は、ある日、あっけらかんとした調子で「チャーハンつくってみる?」といった。新しい母の手料理をはじめて食べた日だった。玉ねぎ、人参を細かくみじん切りにし、ハムを加えただけのものだったが、父と二人で市販のおかずばかり食べていた私にとっては、びっくりする美味しさだった。「最後に、おしょうゆをなべはだにジュッと入れるの」そんなふうに言っていた。

 思えば、あのチャーハンの日から、母との距離は、少しずつ縮まっていった。ときにはぶつかり、ときには黙りこみ、それでも徐々に、私たちは家族になったと思う。

 結婚し家を出てから、「私たちみたいにうまくいっている親子いないみたいよ、なさぬ仲ってやつなのに」とこれまた面白そうに言い放つ母。たしかに、里帰り出産をし、その後もなんだかんだと仲よくやっている。

 私は今、五十才を過ぎ、自分の人生を振りかえるとき、不思議だなあと思う。ピーマンをみると亡き母を思い出し、私にくれた愛情の深さに、せつなくなる。同じ味が再現できているかどうか定かではないが、肉とピーマンのいためものは、娘二人の大好物だ。

 そして今の母は、七十代も半ばだが、元気で、遊びにいくと張りきって、ちらし寿司やパエリアをつくる。手づくりのジャムを持たせてくれる。あの日のチャーハンにはじまり料理好きな母の口ぐせは、「何でもうちでつくるのが一番」だった。気づくと、娘たちに「何でも買える時代だけど、うちのごはんって美味しいよね」と自我自賛している自分がいる。

 親の立場になり、娘たちを育て、二人の母への感謝の気持ちを強くしている。とともに、料理って人の心に残るものだなあと思う。美味しいものを食べると、人は優しくなるのかもしれない。

 これから新しい家族をつくっていくであろう娘たちにも、上手でなくていい、人をあたたかくする手料理をふるまってほしい。

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