「肉はヒロシに食べさせたいので私達は食べないように」月一回兄が帰省する日朝から母は父と私へ言いました。当時兄は東京で夜学へ通いながら昼間は働いていました。
私は四国で生まれ父の転勤で兵庫県へ引っ越しました。国民学校3年生になると学校から集団学童疎開へ参加するか親戚等を頼っての縁故疎開をするようにと言われました。母の希望で母の生まれ故郷へ家族で引っ越しました。その翌年私が4年生の夏終戦になりましたがそのまま栃木県での生活を続けていました。兄は早くその土地を離れたくて高校卒業と同時に東京へ行くことを決めていたようです。母は月一回の帰省を約束させその日の夕食はスキヤキになりました。しかし今ほど食糧があふれているわけではなく又経済的にも親子4人分の牛肉を買うほど豊かではなかったのです。
そのようなわけで肉はほとんど食べられなかったのですが私はその月一回の兄との夕食はとても楽しみでした。あこがれの東京の話しを聞けるのも嬉しいことですが夕食のスキヤキがとても美味しいのです。母は大根をイチョウ切りにうすく切って入れました。もちろんねぎや焼きどうふ等も入れましたが大根を1本位入れたのです。肉のかわりに制限なく食べられるようにとの母の工夫だったのでしょうか。そのうす切り大根は肉やねぎ等の美味しさと砂糖としょうゆの甘じょっぱい味を充分にすいとって最高の美味しさです。
「光子は大根好きだね」と兄のニコニコ顔。「大根とっても美味しいよ。兄ちゃんも食べてる?」と私。兄妹の会話をだまって見ている母。久し振りのお酒を大切そうに飲みながらねぎやとうふを玉子へつけて食べている父。両親特に母はどのような気持だったのでしょうか。貧しいながらも空襲等のない平和な夕食でした。
スキヤキへは普通は大根を入れないと私が知ったのは大人になってからでした。その時は本当にびっくりしました。そしてこんなに美味しいのにスキヤキへ大根を入れないなんてもったいないと思いました。同時に当時私達へ充分に肉を食べさせられなかった母の気持を思い胸をしめつけられるようでした。
その後結婚した私は初めてスキヤキを作った時当然のようにうす切り大根を入れました。夫はそれを見て「スキヤキへは大根は入れないでしょう」と妙な顔をしていました。「ものすごく美味しいから食べてみて」と私。半信半疑の顔で食べ「甘くて美味しいネ」と言いましたがやはり肉へ箸を向けていました。私はアノ時と同じように大根を山のように食べました。
そして翌日なべ底へ残ったわずかな肉や大根へごくうすく切った大根を足しました。しょうゆで味を調え玉子をまわしかけて一人の昼食を楽しみました。