忘れられない大晦日がある。
クリスマスイブの昼下がり、留守宅に忍び込んで金品を物色中、部活を終え帰宅した柔道部の高校生と鉢合わせとなり、あっという間に投げ飛ばされ捕まったドジなドロボーを年末年始に担当することとなったついてない駆け出しの刑事の私は取調室で男と対峙していた。雑談には応じるが肝心なことは貝のように口を閉ざす。正午を知らせるチャイムが署内放送で流れた。昼ごはんの時間だ。刑事ドラマなら、こんな時、出前のかつ丼がおかもちから取り出される…しかし、これは都市伝説のようなもので現実は指定された業者が官弁と呼ばれる弁当を届けてくれる。が、年末年始は、業者も休み、コンビニのおにぎり二つとインスタントの味噌汁だ。私は手弁当…さあ、食べようかと思ったその時、彼がおもむろに「刑事さん、それ美味そうですね」と妻が作った弁当を見つめている。三日前からコトコトとトロ火で煮込んだ牛すじだ。もつ煮も美味いが私は牛すじ煮込みが大の好物だ。濃い口の醤油に日本酒を少々、すりつぶしたニンニクと千切りにした生姜をたっぷり入れる。肉の部分はトロトロに、すじの部分は半透明のアメ色になり、まるでゼリーのように柔らかくなっている。辛いもの好きな私は七味唐辛子を多めに振りかける。熱々も美味いが、冷めてもまた美味い!清酒、焼酎、ビールなら飲み過ぎに注意だ。ご飯なら炊きたてはもちろん冷めたご飯にも合う。幼少期から施設で育ち、今も一人ものの彼に配慮の足りなかった自分を反省した。「ひと口食べてみるか?」そう言って弁当箱のフタに自慢の牛すじ煮込みを取り分けた。「いいんですか?」と言いながら箸をつけようとする彼に「ちょっと待て!」と言いながら持参した七味唐辛子をふりかけた。「刑事さん・・・美味いっす!」「これもどうや」と言いながら玉子焼きと竹輪にきゅうりを入れたもの、そしてウインナーを追加した。私は彼に「誰にも言うなよ。」と釘を刺し、ごま塩のふりかけたご飯を、半分に減ったおかずでかき込んだ。
あれから十年、今日は大晦日・・・珍しく事件もなく、帰り支度をしていると受付から電話だ。私に面会とのこと。上下真っ白の割烹着姿の男性と着物を着た上品な女性・・・はて?誰だろう・・・男性が口を開いた。「刑事さん、私ですよ私!あの時弁当もらった!」
心を入れ替え一生懸命修行し、今は、小料理屋の大将。夫婦で店を切り盛りしているとのこと。「刑事さん、弁当の秘密、誰にも言ってないっす!」固辞する私に「店で一番人気のあるものです」と紫の風呂敷に包まれたものを半ば強引に手渡された。
七味唐辛子がふりかけられた牛すじ煮込み…あの日あの時の味、妻が作ってくれたものとそっくりな味がした。
遠くで除夜の鐘の音が聞こえる。
来る年もいい年になりそうだ。