親父は、金曜の夜になると玄関横の小屋を行ったり来たり、ゴソゴソと翌日の釣りの準備を始める。夜明け前、スーパーカブのペダルを何度かキックする音がする。数秒後にブルルンと軽く乾いたエンジン音がして走り出す。行き先は、秋田県太平山の麓、岩見川の上流。正確な場所は息子の私にも秘密らしい。普通の人が行くような場所ではないことは確かである。
大抵、午後3時頃に帰って来て、玄関先からは、こんな声が聞こえてくる。
「なんもねがった」→ 何も獲れず、所謂坊主のこと。
「河童とってきた」→ 川に落ちてずぶ濡れのこと。
「いっぺとってきた」→ 一杯釣れた、大漁のこと。
「いっぺとってきた」時のクーラーボックスにはイワナがはみ出すくらい入っていた。尺越えのイワナがあると親父の機嫌は、更に良かった。銀色で腹の下にうっすら黄色の模様があり、両手でずっしりと感じる重さ。川の主であっただろうに、運が悪かったな。
早速、お袋が、台所で準備を始める。親父は、ビールで乾杯し、どれだけ引きが強かったとか、川の流れ、水温を考えてエサを変えたことが良かったとか、ひとり勝利者インタビューが始まる程なくして山盛りのイワナの塩焼きが食卓にのぼる。親父、「けー」→ 秋田弁で食べろ。
毎度のことだが、親父は全く食べない。人に推めるだけである。川魚特有の少し淡白な味は子供だった私には、正直、星一つ位のものであった。このイワナの塩焼きを前にしたやりとりは、毎年春から秋まで、私が小学生から高校生の間、変わらなかった。
進学、就職で秋田を離れ、たまに帰省したときにもイワナは登場する。
親父、 「けー」。暫くして、「イワナさ熱い酒っこ入れれべうめど」→ イワナの塩焼きに熱燗を注げば美味しいよ。
ラーメン用のどんぶりにカリカリに焼かれたイワナを入れ、その上に熱々の日本酒をドボドボと流し込む。蓋をして待つこと数分。
親父、 「飲め」の一言。
私は、両手で溢さないように気をつけてゴクリと流し込む。「うめー」、思わず声が出る。
親父もその後にゴクリと。
イワナを焼いた香ばしさと日本酒のまろやかさが溶け合って、、そういうことだけじゃない。親父とイワナのどんぶり酒を回し飲む。そのことが、何だか大人になったような気がして妙に嬉しく、その時の光景は、スナップショットのように記憶され、今でも色褪せることはない。
その後、転勤族となった私は、色々と棲家は変わったが、冷凍されたイワナが度々送られてきた。孫ちゃん達に食べさせてと書き添えられて。
早速、塩焼きにして食べさせる。子供達の反応は、自分が子供だった頃の感じとさほど変わらない。「爺ちゃんが、せっかく山奥から釣って来たんだよ。おいしいでしょ?」と言っても、「このお魚さん、ちょっとモソモソするね。」川の主に申し訳ない。。
親父も歳をとり、イワナに会う機会も次第に少なくなった。
子供達は、もうすぐ二十歳を迎える。いつかイワナのどんぶり酒の味を一緒に味わえればいいなと楽しみにしている。