「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第15回

一般の部(エッセー)

キッコーマン賞
「141枚のお好みやき」
森田 愛さん(福岡県・51歳)
読売新聞社賞
「八重山そば食うたらなんとかなる!」
秋元 勇作(東京都・21歳)
優秀賞
「イワナ」
近 英泰さん(東京都・51歳)
「ウヂのジンギスカン」
髙谷 由美子さん(青森県・72歳)
「すきやきのうす切り大根」
赤松 光子さん(神奈川県・88歳)
「少し固めの稲荷ずし」
櫻井 俊甫さん(大阪府・89歳)
「祖母のコロッケ」
甲斐 来実さん(東京都・13歳)
「父が繋いだバトン」
後藤 結子さん(東京都・29歳)
「特別な魯肉飯」
小野田 華乃さん(東京都・25歳)
「二人で食べた一つの弁当」
長谷川 潤さん(滋賀県・63歳)
「モッ、ハイ、バー! ヨー!」
吹田 健一郎さん(東京都・56歳)
「夜の浜辺で」
中村 いつるさん(福井県・30歳)

小学校低学年の部(作文)

キッコーマン賞
「わたしとおかあさんのたまごやき」
西浦 一華さん(奈良県・7歳)
優秀賞
「きりたんぽと五平もち」
谷井 華英さん(東京都・9歳)
「ろっくんのはじめてのおしょうゆ」
三和 倫太郎さん(兵庫県・8歳)

小学校高学年の部(作文)

読売新聞社賞
「2週間ぶりの感動と言ったら!」
久冨 さくらさん(広島県・12歳)
優秀賞
「曽祖母の味」
津村 悠葵さん(福島県・10歳)
「ひいおじいちゃんのさくらんぼ」
鹿山 芭さん(福島県・11歳)

※年齢は応募時

第15回
■一般の部(エッセー)
優秀賞

「モッ、ハイ、バー! ヨー!」 吹田 健一郎 すいた けんいちろう さん(東京都・56歳)

 町の食堂でフォーを啜っていると、地元の人達が物珍しそうに群がってきた。皆たどたどしく話しかけてくる。二六年前、初めてベトナムを訪れたときのことである。その中の一人、歯医者のディンさんと親しくなり家に招かれた。

 ディンさんが部屋の真ん中に大きな茣蓙を広げた。銀色のお盆を置くと肉や魚料理の鍋が並べられていく。そして車座になって、ディンさん一家との晩御飯が始まる。本物の家庭料理は、レストランでは味わえない美味しさだ。みんなの笑顔で心もいっぱいになる。タッパーで量り売りをするビアホイは、ビールなのに氷を入れて飲んだ。ベトナムでは、一人で黙って飲むのは失礼とされる。皆で、すっくと立ち上がり、「モッ、ハイ、バー! ヨー!」と叫んで一緒に呑み干すのだ。酔いが回ってくると、だんだん声が大きくなってくる。ビールには、ネムチュアが良く合った。発酵させた豚肉のソーセージだ。大きなバナナの葉に幾重にも包まれていて、その移り香が爽やかだった。ご飯の食べ方も独特だった。鍋で炊いたご飯に煮物の煮汁をかけて雑炊のようにして食べる。パサパサしたインディカ米なので、こうしたほうが食べやすかった。ただし、この食べ方は、目上の人や客人の前では差し控えたほうがよいそうだ。ということは、私を身内として遇してくれたのだ。みんなで食べる笑顔の御飯。ここには私達日本人が遠い過去に置き忘れてきてしまった大切なものがあった。

 それからは毎年ベトナムに渡ってきた。ベトナムは急速に変貌していった。つい先日、ベトナム政府は、「二○四五年までに先進国になる」という目標を表明していたが、経済成長に伴い街の様子は綺麗で洗練されたものになっていった。食事の光景もまた変化した。いつしか食事はダイニングキッチンの白いテーブルでとるようになった。食卓には、のっぺりした缶ビールが並ぶ。ネムチュアのバナナの葉を開いていくと、何とサランラップに包まれたソーセージが出てきた。確かに衛生的だが、これでは葉の香りが活かされない。ご飯は電気炊飯器で、ふっくらと炊き上がり、煮汁をかけることもなくなっていった。何かが違う。惜しい気もした。

 こんなことを感じていた矢先にコロナ禍に見舞われて二〇二〇年からベトナムに渡航出来なくなってしまった。モヤモヤした思いは残ったままだった。

 去年の夏、四年ぶりにベトナムを訪れた。着くや手を引っ張られ、家で催す宴に招待された。ディンさんが、あの大きな茣蓙を抱えてきて部屋の真ん中に広げた。どんどん料理が並ぶ。お隣さんがお酒のボトルを提げて集まってくる。車座になると互いの肘がぶつかり合うほどだ。

 「ケンとの再会を祝して。モッ、ハイ、バー! ヨー!」

 盃を空けたときに気づかされた。生活様式の変化などは表面的なものに過ぎない。人間の本質は変わらないのだ。美味しい御飯と素敵な笑顔が溢れていれは大丈夫。宝物はいつまでも輝き続けるのだ。

 そんな感慨に浸っていると、ディンさんが私のご飯茶碗を手に取った。そして笑顔で、たっぷり煮汁をかけた。

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