あれは小三の文化の日(二〇一一年)私は、祖母とちらし寿司を作っていました。祖母は、肝こうへんをわずらっていました。そのため食事には、とても気をつかっていました。朝は、スムージーを飲み、昼食も夕食も野菜中心でした。十一月三日それは、祖母の誕生日です。肝こうへんのため祖母は、あまりケーキを食べれません。そこで祖母の好物であるちらし寿司をケーキの型に入れ、ケーキ風に作ることにしました。私と祖母は、いつも作っているちらし寿司をつくり、買ってきたケーキの型におしつめました。そして型をとるといくらやたまごがいい具合に上に乗っていてとてもかわいいケーキができました。これは祖母もとても満足していました。米つぶをつぶさないように作ったので、食かんも良く、とてもよくすのきいたおいしいちらし寿司でした。あの時おいしそうに食べていたみんなの顔が忘れられません。それから毎年祖母の誕生日になるとちらし寿司ケーキを作ろうと祖母と話していました。しかし、その翌年の夏、次の誕生日をむかえる前に祖母は空へと帰りました。家族の中心であった祖母がいなくなりみんな落ちこんでいました。祖母はいないけど私と母そしておばの三人でちらし寿司ケーキを作りました。いくらがんばってもマネできない祖母の味。だけどそれぞれの祖母への思いがつまったこのちらし寿司ケーキはきっと祖母もおいしいと笑ってくれていると思います。私は小皿に少しとり仏だんにおきました。祖母が空で一緒に私たちと食べれるように。それから毎年私たちは十一月三日(文化の日)、祖母の誕生日になったらちらし寿司ケーキを作っています。このちらし寿司ケーキは、私たち家族と祖母との絆の証だと私は思います。