東京で学生生活を送っていた今から三十年程前、祖父母が二人だけで大阪に行く事になり、私は上野まで迎えに行って東京駅で新幹線に乗せるという役目を仰せつかりました。夜勤もあった母に代わりずっと愛情一杯に育ててくれた祖父母に逢えるのは楽しみで今か今かと待っていました。でもホームに降り立った二人はあのバブル期の派手できらびやかな都会では完全に浮いた存在で大声で話す言葉の訛りも激しく、コソコソと周囲から隠す様に山の手線に乗せ東京駅へと向かいました。暫くすると二人はぱったりと無口になり「すまねがったね。久しぶりにお前に逢えて興奮しちまってよ。迷惑かげたな」と小声で言って「これお前に食べさせたくて今朝作ったんだども」と丁寧に繰るんだ新聞紙の包みを渡してくれました。じんわりとした温かさとふわっと漂う香りで中身はすぐにわかりました。子供の頃から大好きな祖母特製の味噌結びでした。かまどで炊いたご飯に薄く焦げた所を少しだけ入れ混んで大きめに握り、味噌・酒・味醂・砂糖・醤油少々・摺りごまと細かく刻んだ青唐辛子を油で炒めた甘味噌をたっぷり塗って塩抜きした青葉で隙間なく包み炭火でじっくり焼く祖母特製の味噌結びです。簡単な様でとても手間がかかり青葉の塩漬けは一年分、味噌も勿論手作りです。ごまは炒める直前に山椒のすりこ木でたっぷりすります。その上祖母は焼くもの遠火の強火と決めていてそうすると冷めても固くならず風味も香りもそのままなのです。汗だくで遊んで帰って冷たい井戸水で全身洗って食べる最高のおやつでした。家の事情で小学校も途中までしか通えなかった祖母でしたが、優しく強く物知りで材料も乏しい中、工夫した料理を作って食べさせてくれました。幼い私には祖母が生活の全てでした。「お握りじゃなくてお結びだど。神様が良縁を結んでくれます様にお願いして作るお結びだど」と言いながらいつも作ってくれました。そんな事を思い出しながら顔を上げると不安げに通路に立つ祖母と目が合って「危ないから座って。お結びありがとね」と身振り手振りで伝えると不意に祖母は涙ぐみそれを拭くタオルを探しているうちに発車して、再び顔をあげた時に視線の先に私は居らず大きく手を振りました。気づいて涙を拭く祖母に、昔の様にしっかりしててよと寂しい様な怒りたい様な何とも言えない気持ちで見送りました。それより責めたかったのは少しでも二人を恥ずかしいと思った自分自身です。このお結びを作るのに何時に起きたんだろう大きな包みだから荷物になっただろうに。もう若くない祖父母なのに。帰って食べたお結びはやっぱりいつもの馴染んだ間違いない祖母の味でした。ありがとう。おばあさん。おばあさんの美味しいご飯で健康に丈夫に育ちました。そしておばあさんが神様にお願いしてくれたお陰で素敵な良縁に結ばれて幸せに暮らしています。でもあのお結びと同じ味はまだ出来ないでいます。