祖母の得意料理はさして特徴のない、素朴なものばかりだった。昆布と砂糖としょうゆで甘辛く煮た豆、少ししぼんだ大根で漬けた沢庵、そして、いつもかために炊かれたお赤飯。どれも、ああ食べたことあるな、と思うような味だ。
そんな祖母が作った料理の中で忘れられない味がある。十年前の夏の日に食べた、おにぎりだ。かつおぶしとしょうゆだけの、私だって簡単に作ることができそうな、おにぎり。
その日、母の実家を訪れた私の耳に一番に飛び込んできたのは、伯母の祖母を叱る声だった。どうやら祖母は、炊飯器で炊けばよいものをこの方がおいしいからと鍋で米を炊き、焦がしてしまったらしかった。しかも、大量に。お盆で人が来るからと伯母は大忙しで料理をしていたらしく、手伝おうとした祖母は、逆に邪魔をした形になってしまった。少ししょんぼりして居間に入ってきた祖母は、私を見つけるなり、
「おにぎり食べるか?」
と聞いてきた。何だか伯母の怒りの矛先がこちらに向いてしまいそうだし、それにその頃はダイエット中だったから、最初は丁重にお断りした。すると祖母は私の目の前に、焦がした鍋を置いたのだった。そして、かつおぶしをパッパと入れ、しょうゆを一回しかけ、しゃもじでお焦げごと豪快に混ぜた。おいしそうな炊きたてのごはんの香りと香ばしいしょうゆの匂いがふわりと立ち上って、一気に伯母の怒りの矛先もダイエットも、どうでも良くなってしまった。祖母はダイエットと言った私に気遣って、少し小さめのおにぎりを握ってくれた。一口頬張ると、お焦げとしょうゆとかつおぶしが本当に絶妙で、もうこれ以上ないというくらい最高のおにぎりだった。気がつけば、祖母と二人でお鍋にあったごはんのほとんどを平らげていた。後にも先にも、あんなに我を忘れてごはんだけをたくさん食べたのは初めてだった。そのくらい、本当においしいおにぎりだった。
その一ヶ月後、祖母は長年患っていた病気が原因で亡くなった。七十七歳だった。祖母が亡くなると、あれだけどこにでもある味、と思っていた料理たちが、どこを探しても見つからないことに気づいた。あの夏の日に食べた、あのおにぎりの味も。いくら自分で試してみても、同じ味には十年経った今でも出会えない。調味料も材料もわかっているのに、どうしてもマネできない、その人にしかできない、味。
ああ、あのとき食べたあのおにぎりをもう一度食べたい。でももう二度と、あの祖母の手で握ったおにぎりには出会えないのだ。それも、もうわかっている。だからあの味を、私は一生忘れない。