「この子は将来酒飲みになるねえ」
と私はまわりの大人たちからさんざん言われて育った。なぜかというと、小さい頃から父親の酒の肴を横でつまみ食いしていたからだ。イカの塩辛やナマコの三杯酢、こういうものが大好きだった。
イカの塩辛は父の会社の人のお母さんが作って八戸から送ってくれたもの。ごはんのたびに楽しみに食べていると父親がそんなに美味しいならお礼の手紙を書いたら?と言った。
そこで私は
「とても美味しくていつもご飯にのせて食べています。一番好きなのはコリコリしたところです。大好きなのでまたおくってください」と小学生らしい素直すぎる手紙を書いた。するとその人はすぐにまた送ってくれたのだ。コーヒーの空き瓶に詰められた数本の塩辛に添えられた手紙にはこう書いてあった。
「イカのコリコリしたところは少ししかないので他のイカの分も入れました」
手紙の通り、送られた塩辛にはコリコリしたところがたくさん入っていて、とても美味しかった。その後もその人は毎年塩辛を送ってくれ、私は手紙で塩辛の作り方を教えてもらった。会った事のない、父親の会社の人のお母さんと私の交流は冬ごとに繰り返され、私は塩辛への思いを次第に募らせていった。
いつか自分でイカの塩辛を作ってみたい。そう思ったものの、東京じゃ新鮮なイカを手に入れるのも難しいとハナから諦めていた。
しかし、どうしても作りたくなり、二十歳になったころに私は築地にイカを買いに行った。え?わざわざ築地に?と思われるかもしれない。しかし私の中でイカの塩辛は特別な存在なのだ。最初の塩辛を適当なイカで作る訳にはいかない。私は新鮮なイカを探して市場をうろついた。お店のオジサンに
「こ、これ、塩辛に出来ますか?」
と前のめりに訊くとオジサンは
「あったりめえだろ!こんなに良いイカなら何したって美味いよ!」
と言った。イカを五杯買って重い重いと言いながら帰った。
さっそく料理本を見ながら塩辛作りに挑戦した。イカの構造がよくわからない。しかし、作ってみたい一心で頑張り、なんとか自作の塩辛が完成した。すぐ食べたい気持ちをおさえて一日待つ。恐る恐るご飯の上に乗せて食べた塩辛はとっても美味しかった。素晴らしい食べ物だなあと私は心の底から感激した。
その頃からだいぶ月日が経ち、気がついたら私はすっかり酒飲みになっていた。大人たちの予言があたってしまったなあと思いながら今日も塩辛を肴に飲んでいる。そして、横で塩辛をつまみ食いしている息子を見て、
「この子も将来酒飲みになるねえ」と思っているのだった。