四十年ほども昔の話。商店街のはずれに、夜になるとモツ焼きの屋台が出ていて、アルバイト帰りに時おり足を止めた。冷や酒コップ二杯と串十本で、ちょうど千円。炭火でカリッと焼いた甘辛だれの白モツが特にうまく、酒は受け皿にたっぷり溢れさせてくれた。貧乏大学生にとっては、たまの贅沢だった。
その日は、中学の同級生の弟に勉強を教えて、そのお宅で夕飯をごちそうになった後、屋台に立ち寄った。酔っ払いたい気分だった。コップ酒を半分ほど一気にあおり、受け皿の分を注ぎ足して飲み干す。焼きあがった白モツは、いつものように味が舌に染みこまなかった。香ばしい匂いもどこかへ消えてしまったようだった。二杯目の酒をまた半分あおって、ふうっと息をつくと、「兄ちゃん、今日は飲み方が荒いね。失恋でもしたかな」。隣から声をかけられた。白髪頭の痩せた老人。何度かここで見かけたことがあった。目元が笑っていた。はあ・・・・・・と曖昧な返事をして、「人生なかなか難しいですね」。自分でも思いも寄らない言葉を吐き出していた。
人恋しかったのかもしれない。酒を飲み、白モツを噛みながら、私は老人にぽつりぽつりと話した。――中学の同級生というのは、私の初恋の人だった。ほんのりした色気を漂わせる美人で、でも当人はそんな自分の魅力に気づかないかのように、いつもころころと無邪気に笑っていた。同窓会で再会した時は、私も女性と話せるくらいに大人になっていて、近況報告をし合ううちに、弟の家庭教師をすることになった。うれしかった。勉強の後、彼女が家にいると、一緒にお茶をしたり夕飯を食べたりした。そんな日々が一年近く続いた。そして今日。家族に交じって、知らない男性が食卓についていた。N君。結婚するの、と彼女に紹介された。私より少し年上で、優しい目をした、落ち着いた人だった。おめでとうございます、と何とか言って、その後のことは覚えていない。
「恋で大事なことが二つある」。酒をついでくれながら、老人が言った。「二番目は諦めないこと。諦めなければ思いが通じることもある。で一番目は、諦めることだ。相手を困らせる恋でしかないのなら、きっぱり諦めるのが男だよ」。冬の終わりで、ジャンパーの背中が寒い分、炭火のほてりがうれしかった。白モツの味と匂いが戻ってきたようだった。やはり最高にうまかった。結局、二十本も追加して、ほおばり続けた。冷や酒もうまかった。老人はこの春に定年退職だと言った。勘定を持ってくれるというのを遠慮したら、「出世してお金に余裕ができたら、若い人におごってやんなさい」と笑った。
私もこの春退職した。出世はしなかったが、モツ焼きをおごるくらいの余裕はある。人混みの向こうに屋台の暖簾が見え、香ばしい匂いが漂ってくると、つい足が引き寄せられる。