「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第7回

一般の部(エッセー)

キッコーマン賞
「ふたつのお弁当箱」
和田 佑美子さん(茨城県・34歳)
読売新聞社賞
「力うどんのチカラ」
加藤 パトリシアさん(千葉県・59歳)
優秀賞
「高野豆腐」
堀内 貴美子さん(大阪府・59歳)
「おばあちゃんの味の肉じゃが」
木谷 美穂さん(広島県・33歳)
「母の野菜ジュース」
衛藤 緒利恵さん(東京都・20歳)
「モツ焼き」
門田 弘さん(千葉県・61歳)
「父の味」
岩槻 淳さん(宮城県・60歳)
「祖母の味噌結び」
草野 恵美子さん(福島県・50歳)
「祖母のおにぎり」
大塚 りょう子さん(茨城県・34歳)
「イカとわたくし」
谷口 治子さん(東京都・49歳)
「祖母の味」
富岡 奏美さん(静岡県・16歳)
「寄り添うおいしさ」
阿久戸 嘉彦さん(埼玉県・54歳)

小学校低学年の部(作文)

キッコーマン賞
「2ピースのたび」
山本 千陽さん(秋田県・8歳)
優秀賞
「はじめてのみそ作り」
佐々木 真瑚さん(静岡県・9歳)
「まんまるつくね」
川上 真央さん(東京都・8歳)

小学校高学年の部(作文)

読売新聞社賞
「ハッピーカード」
瀬戸 俊介さん(埼玉県・10歳)
優秀賞
「思い出のちらし寿司」
金城 渚紗さん(岐阜県・12歳)
「さめていてそっと温かいおにぎり」
行田 有希さん(岐阜県・12歳)

※年齢は応募時

第7回
■一般の部(エッセー) 優秀賞「父の味」岩槻 淳さん(宮城県・60歳)

 父の十七回忌を終え、八十七歳になる母と二人で、ある寿司屋を訪れた。「こんなどごに入ったごとない」と母は怪訝な顔をして私を見上げた。母の背中を押して暖簾をくぐると、若い職人の威勢のいい声が響き渡った。戸惑いを隠せない母をカウンター席に座らせ、親方に「先日は大変ご馳走になりました。今日は約束通り母を連れて来ました」と声をかけた。小柄な親方が、ちらっとこちらを見て破顔した。私が一礼すると全てを悟ったかのように眼光を鋭くして頷いた。母は父が亡くなってからずっと一人暮らしだった。昨年、不調を訴えた母を、近くに住んでいる姉が病院に連れて行った。医師は「まだ認知症ではありませんが、ちょっと鬱が進行しているかもしれませんね」と診立てた。姉が毎日、母の家を訪れて家事の世話をしているが、母の一人暮らしは今も続いている。

 親方が皿に盛られた干瓢巻と稲荷鮨を持って来た。母の前に置き「先代の時に随分と贔屓にしていただいたようです。うちの自慢の味です。食べてみてください」と、深々と頭を下げた。母は親方のあまりに謙虚な姿に驚き、目を白黒させて「いやいや、そんなご丁寧に」と、やおら席から離れ、親方以上に頭を下げた。私は母の手を取り元の席に着かせ「まあ、その干瓢巻を食べてみて」と声をかけた。母は慈しむように小振りに切られた巻物を一つ手に取り、口にした。

「うめんなぁ。死んだ爺ちゃんの味だなぁ」

「そうか・・・・・・母さん、この店がわかる」

「そりゃあ、きまってる。あさひ鮨さんだべ」

 母がきっぱりと即答した。親方がすかさず母の元にやってきて「ありがとうございます」と、嬉しそうにまた頭を下げた。

 私は高校三年の時、父と大喧嘩したことがある。「俺はあさひ鮨の大将のような寿司職人になりたい。だから親爺、紹介してくれ」と父に言うと、父は顔を真っ赤にして「馬鹿言え、お前がなれるわけがねえ。朝三時に起きて飯炊き三年だぞ」と怒った。父に連れられて、一度だけ寿司屋に行ったことがあった。以来、父が持ち帰る寿司の折り詰めが楽しみになった。中でも干瓢巻は、我が家では大人気だった。翌日に食べても美味しかったからだ。結局、私は父の言葉に折れて大学に進学した。

「私は先代の味を知らないんです。外で十年以上も修行させられて、帰って来た時には、親爺はもう店に出ていなくてね。だから先代の味を知っているお客さんを大事にしています。米や海苔、砂糖、醤油、酢は当時とは全く違います。先代の味は越えられません」

 数日前に、もしや、と思い訪れた私に、親方はそう胸の内を語ってくれた。

 少し元気になった母が、帰り際に「いがったごど、今日は爺ちゃんの味に会えました。おしょうしなっし」と礼を言うと、親方は

「いづでもきてくだいん」と目を細くした。

 母の目尻から一筋の涙が流れていた。

[広告]企画・制作 読売新聞社広告局