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- 上智人が語る 「日本、そして世界」
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1000人に1人を目指す――遠大な目標も考え方ひとつで
(古谷 有美 TBSアナウンサー)中学1年の時、英語の先生がそれはそれは素敵な方で、彼女が卒業した上智大学に憧れを持つようになりました。私が通っていたのは私立の中・高一貫校、英語教育に力を入れていて、それも文法より聞くこと・話すことを重視した独特な教え方でした…
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好きな場所でいつもの仕事を 「テレワーク」で日本中が元気に
(田澤 由利 株式会社ワイズスタッフ代表取締役・株式会社テレワークマネジメント代表取締役)高校生のときは英語の教師を目指していました。理由はというと……実はとても単純で、英語の先生が大好きだったため、先生と話したい一心で一生懸命質問を考えていたら、おのずと成績も上がってきて、英語の勉強が好きになったからです…
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インターネットを入り口に 「生」を楽しむ人が増えてほしい
(柳家 三之助 落語家)上智大学に進学しなかったら私は噺家になっていない……多分ですけどね。大学に行きたい、というより東京に出たい一心で勉強して、経済学部の推薦枠をいただきました。ただその時から、親が望むまっとうなコースは歩まないぞという、密かな心づもりもありまして…
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時代小説を書き続けて見えてきた大切なこと
(諸田 玲子 作家)この9月から、私の小説『四十八人目の忠臣』をもとにした連続ドラマが、NHKで半年あまりにわたって放映されます。時代劇の定番「忠臣蔵」を扱っていながら、まったく新しい物語として、とりわけ若い女性にも楽しんでいただけるものになるはずです…
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「粒違い」の多様性を世の中にもたらす仕事を
(嶋 浩一郎 編集者・クリエイティブティレクター 博報堂ケトル代表取締役社長・共同CEO)僕が発起人の一人となり、現在も理事を務める「本屋大賞」ですが、第13回目となった今年は、上智大学の先輩である宮下奈都さんの『羊と鋼の森』が選ばれました。初版7500部、それが50万部(2016年6月現在)のベストセラーとなっていることは、本屋大賞の面目躍如といってよく、僕としては二重の喜びです…
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青くさい夢を追い続ける ミュージカルのトップランナー
(新妻 聖子 女優・歌手)姉の証言によると、私は5歳にして「将来はスターになるんだ」と、アイドルの歌をまね、自分のサインまで練習していたそうです。いまの私があるのは、その頃からの執念のたまものかな(笑)。小学6年生のとき、父の転勤でタイに移住し、ABCすらまともに読めない状態でインターナショナル・スクールに編入しました。当然、数学も理科も社会も授業はすべて英語…
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10秒の駅メロに音楽家としての個性と技術を光らせる
(塩塚 博 作・編曲家、ギタリスト)父がクラシック好きで、僕も母のおなかの中にいた時から聴かされていたためか、4歳のとき自分からピアノを習いたいと言い出したそうです。残念ながらあまり上達はしなかったんですが、耳で覚えたものを即興的に弾く才能は当時から秀でていましたね。小学時代「スパイダーズ」に憧れ、彼らがビートルズやストーンズへの扉を…
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雑誌というメディアだからこそ作れるコミュニティを新たなビジネスに
(山本 由樹 雑誌編集者)子供のころから、将来は「マスコミ」と決めていました。父は元々バリバリの新聞記者だったのですが、後に事業部に移り、僕が見ていたのは、朝はゆっくり出勤し、夜は酔っ払ってタクシーで帰ってくる父の姿……それで、「マスコミは満員電車に乗らなくていい楽な仕事」と、勝手に思い込んでいたんです(笑)。動機はともあれ…
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上智がつないでくれた夢 舞台俳優の顔をもっと見てほしい
(川平 慈英 ミュージカル俳優)中学・高校と、自分たちでサークルを立ち上げるほど演劇やミュージカルが好きだったのですが、一番の興味はサッカーに向いていました。読売クラブ(当時)のユースに所属し、プロを目指して米・テキサス州立大学にサッカー留学。監督にも目をかけていただき、全米ベストイレブンにも選出されたのですが、これがピークでした…
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軸のブレないマーケット・エコノミストへの二転三転した道のり
(上野 泰也 エコノミスト)父が法曹関係でしたし、高校の成績も悪くなかったため、まわりは国立の法学部あたりに入るものと思っていたようですが(笑)、中学のときにいい先生に出会って以来、歴史が好きになり、大学は史学科と決めていました。そして上智大学は、国際色豊かでかっこいいというイメージで、片想いのようにあこがれの存在でした…
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「謎解きもの」とはひと味違う日本の警察小説の草分けに
(今野 敏 小説家)私が上智大学を受験したのは、当時国際部に在学していたアグネス・チャンさんに憧れて、というあまりほめられた動機ではありません。そのためか現役の際は不合格となり、一浪している間に少しまじめに考え直し、自分の関心に沿った新聞学科に志望を変えて再受験しました。そうして入学した上智はまさに理想の大学でした…
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日本とロシアの若者をアニメでつなぎたい
(上坂 すみれ 声優)高校のときにソ連の国歌を耳にして、壮大なメロディとロシア語の響きの美しさに魅せられたのがきっかけで、ソ連やロシアが好きになりました。それで、運よく推薦枠をいただけた上智大学のロシア語学科に迷わず決めました。会話の先生はもちろんロシア人でしたし、ロシア研究の最先端の先生方が、ご自身の手作りの教材や…
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やっぱりテレビドラマは リアルタイムで観られてこそ
(磯山 晶 TBSドラマ制作部プロデューサー)高校生のときにマンガで賞を取ったことがありました。また、美術部に所属し、画家になりたいとも考えていました。でも、若いながら保身というのか(笑)、安定を求めて、自由業でも美大でもなく一般大学に進むことにしたんです。実は成績も悪くはなかったので、推薦入試の枠で受験することができました。ただ…
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持続可能な一次産業を守り育てる 日本発のソーシャルビジネスが中国へ、アジアへ
(藤田 和芳 株式会社大地を守る会 代表取締役社長)私が上智大学法学部に入学したころ、多くの大学が「紛争」の嵐の中にありました。日米安保条約改定、ベトナム戦争、沖縄返還などの問題に国民の誰しも、とりわけ学生は無関心でいられなかった時代です。上智でも、学生運動に加わる者は次第に増え、新聞部に入って2年生で主幹となった私は、学生側に立った記事を書き続けていました…
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国際人を目指すこと、それは自国の文化に目を向けること
(花田 景子 貴乃花親方夫人)テレビ局のアナウンサーになって、海の向こうで活躍したいという夢を抱いたのは、小学校5年生のときでした。当時、『兼高かおる世界の旅』をはじめ、海外を紹介する番組を各局が競うように放送していて、あこがれたんですね。そのためには語学を身につけなければと、高校のときアメリカに留学し、大学は上智に決めました…
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「日本はすごい!」ブームはちょっと行き過ぎ?
(山田 五郎 編集者・評論家)高校生のころに美術や映画に興味を持ち、大学では特に映画を、作り手としてではなく評論する立場で勉強したいと考えていました。ところが、それができる大学は意外と少なく、そのひとつが上智大学の文学部 新聞学科でした。マスコミ方面への就職を希望する学生が多い学科でしたが、僕自身は当時、マスコミへの就職は考えていませんでした…
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仕事でもプライベートでも 今につながっている上智大学との「縁」
(日比谷 潤子 国際基督教大学学長)中学生のころから英語が好き、というより英語も日本語も含めた言語の仕組み、みんなが忌み嫌う「文法」が好きという変わった女の子で、大学では言語学を勉強したいと考えるようになりました。カトリック系の高校で、運よく私の年に上智大学の外国語学部フランス語学科から推薦入学の募集があったため、これに応募しました…
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「使える英語」を遠ざけている教育界の、そして日本人の意識とは
(吉田 研作 言語教育研究センター教授)僕は小学1年生の途中で日本を離れ、アメリカ、カナダで暮らして、中学1年の時に日本に戻ってきました。海外に日本人学校がほとんどない時代でしたから、その時点では日本語の方がおぼつかず、中高一貫校ながら、高校に進めるかどうか危ぶまれたこともありました…
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ちょっと立ち止まって物事を別の角度から見てみる——そんな作品をつくりたい
(神保 慶政 映画監督)僕が学んだ上智大学文学部社会学科(現総合人間科学部社会学科)は、科目履修の自由度が高く、宗教学関係をはじめ、外国語学部のアジア文化副専攻(当時)の科目など、さまざまな分野について、学際的に学ぶことができました…
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共感してチャレンジして自己実現できる——そのための会社でありたい
(澤田 貴司 株式会社リヴァンプ 代表取締役社長 兼 CEO)高校の時1カ月だけ、アメリカでホームステイを経験しました。ホストファーザーがNASAにお勤めで、いろいろと興味深い話を聞かせてくれたのですが、英語だったため理解できなかった部分もあったものの、なんとなく素敵に感じていました。その影響もあって、理工学部物理学科(現在は機能創造理工学科などへと改組)、を選びました…
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「想定外」をチャンスとして活かせる柔軟性を身につけたい
(長野 美郷 フリーアナウンサー)私が生まれ育った愛知県三好町(現・みよし市)は、おいしい果物で有名なとてもいいところですが、東京の、それも大学の情報となると、そうそう入ってきませんでした。ですから、上智大学を第一志望にした理由は、正直なところ…
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「伝える技術」が日本を元気にする
(佐々木 圭一 コピーライター・CM制作/上智大非常勤講師/ 株)ウゴカス代表 /宣伝会議講師/)僕はコピーライターという、まさに文系の仕事をしているのに、上智大学の理工学部機械工学科(現・機能創造理工学科)を経て大学院まで進みました。しかし、この一風変わった経歴が、仕事の中で役立ったと実感することがあります。例えば…
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「TEAP」を生み出した上智大学が 先頭に立って日本の英語教育の改革を
(安河内 哲也 東進ハイスクール・東進ビジネスクール講師)私が受験生だった当時、英文学ではなく、コミュニケーションの手段としての英語を学ぼうとすると、選択肢が非常に限られていました。数学のできない私に国立は無理(笑)、そうなると、私学ではここ上智大学の外国語学部英語学科と、あと数えるほどしかありませんでした…
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新たな心の病のケアとして期待される スピリチュアルケアの研究を上智で
(水谷 修 花園大学客員教授、上智大学非常勤講師)僕が卒業したのは、ここ上智大学文学部哲学科。まさにその場所で、2014年度から、3・4年生対象の「倫理学演習」を担当することになりました。ただ、僕がこの大学に呼び戻された理由はそれだけではないはず……とひそかに考えています…
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挑戦し、問い続けることが大切。そこから見えてくるものが必ずある。
(知花 くらら モデル、国連WFP日本大使)高校の時から、大学では心理学や哲学などの人文科学の領域について幅広く学びたいと考えていたため、上智大学の文学部教育学科(その後の改組改編により教育学科は総合人間科学部)に入学しました。主専攻として教育哲学を選択、副専攻では国際教育を選択し、それぞれについて関心を持って…
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