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- 上智人が語る 「日本、そして世界」
- 山田 五郎 編集者・評論家
「日本はすごい!」ブームはちょっと行き過ぎ?
- 山田 五郎
- 編集者・評論家
就職に直接結びつかないと思うことも積極的に学ぼう
高校生のころに美術や映画に興味を持ち、大学では特に映画を、作り手としてではなく評論する立場で勉強したいと考えていました。ところが、それができる大学は意外と少なく、そのひとつが上智大学の文学部 新聞学科でした。マスコミ方面への就職を希望する学生が多い学科でしたが、僕自身は当時、マスコミへの就職は考えていませんでした。
新聞学科は、幅広く知識を身につけられる環境で、当時は他学部・学科の授業も履修することができました。僕は貧乏性なので、受けられる授業は受けなきゃ損だと履修しまくり(笑)、結果、2年間で卒業に必要な単位はほぼ取得してしまったんです。
その中には「バロックの文学と芸術」など印象的な講義がいくつかあり、僕の興味は美術史のほうに移っていました。調べてみるとオーストリアのザルツブルグに提携校のカレッジがあり、単位を交換できるため、1年間留学しても留年せずに卒業できることがわかりました。そこで先生に相談したところ、カトリック学生会という組織を通じて寮にも入れるし、ザルツブルグ大学の授業にも出られるよう取り計らってくださるとのこと。留学する条件がそろってしまったんですね。
提携校のカレッジの校舎は、映画『サウンド・オブ・ミュージック』でトラップ大佐の邸宅として使われた建物でした。戦後、米軍が接収し、当時はアメリカの大学の施設になっていたのです。そこで勉強できたことは貴重な体験でした。休日に安い鉄道のパスを使って、ヨーロッパじゅうの美術館を観て回れたことも、大きな収穫になりました。先生方が紹介状を書いてくださったお陰で、展示されていない作品も含め、様々なものを見せてもらえました。
そんな自分の学生時代の体験と照らしてみると、今の大学は、どこか就職予備校のようになってしまっていると感じることがあります。その結果、大学本来のメリットを逆に活かせていないような気がします。だとしたら、もったいないですね。
直接就職には結びつかなくても、あとあと仕事に生きてきたり、趣味として生涯、楽しむことができる教養を学べるのが、大学のいいところだと思います。
外国語だって、社会に出てからわざわざお金と時間を使って学び直すくらいなら、大学できっちりやっておいた方が得ですよね。とくに上智大学は語学教育では定評がありますし、学べる言語の数も多い。僕は貧乏性なので授業料が同じなら取らなきゃ損と(笑)、英仏独にラテン語と、第四外国語までとりましたよ。ラテン語の成績はDでしたけど。
自分が扱う「対象」を好きになることこそが仕事
さて、留学から戻ったのは4年生の9月で、その時点では大学院に進学して留学し直そうと考えていました。ところが、実際に美術史系の大学院に通う先輩たちにアドバイスを求めに行くと、だれもその道をすすめない……どころか真剣に止めるんですよ(笑)。
一方で、当時はマスコミ関係の採用試験は4年の秋から始まっていたので、クラスの友人たちがスーツを着て大学に来るわけです。彼らから、マスコミの採用面接に行けばLPレコードが買えるくらいの交通費をもらえると聞いて(笑)、テレビ局、ラジオ局と訪問してみた。すると、たしかに交通費が貰えた上に、他の大学の人たちとも会って話せる。思いのほか楽しくて、自分には向かないと思っていた就職にも興味が出てきました。
やがて出版社の試験も始まったんですが、狙っていた美術系のところは不景気で軒並み採用がない。そんな中で講談社は、当時はまだお金をかけたすばらしい美術書を出していて、こういう本を作らせてもらえるのであればと、就職を決心したんです。
しかし、甘かったですね(笑)。配属されたのは美術とは縁もゆかりもない情報誌でした。でも、そこで仕事をするうちに、大事なことを学びました。
僕は最初、『ホットドッグ・プレス』という若者情報誌でファッションを担当させられたのですが、ファッションが特に好きなわけでも興味があったわけでもありません。しかし、それだと好きな人には絶対にかなわないし、そもそもファッションが好きで読んでいる読者には、自分同様ファッション好きな人間が作った記事かどうか、見破られてしまうんです。だから、仕事をする以上、自分が扱うものを無理にでも好きになろう、いや、好きになることが仕事なのだ、と考えるようになりました。
で、やってみると、たいがいのことは好きになれたんです。実は「好き嫌い」ほどあやふやな感情はない。好きで結婚したはずのカップルが憎み合って別れたり、逆に戦時中に写真だけ見て結婚した夫婦が意外に長続きしていたりしますよね。それは、なんとか好きになろうとお互い努力したからだと思うんです。好きという感情は、自然に湧いてくるだけではなく、努力することでも得られる。僕はそれを仕事から学びました。
グローバル化を阻んでいる「恵まれている環境」
最近はテレビの仕事が増えていますが、しゃべることをあらかじめ考えないことにしています。もともと「紙媒体」の人間なので、反射神経でしゃべることに慣れていません。そのため、きちんと組み立てていても、とっさにそのようにはしゃべれない。結果、あとですごくいやな気持になるんです。
以前ある番組で、日本の文化が海外で誤解され、おかしな形で紹介されている事例を取り上げるコーナーに出演していたことがあります。では現在はどうかというと、逆の方向で妙なことになっている気がします。
和食やサブカルチャーをはじめ日本の文化が国際的に評価されるようになったのはいいことですが、だからといって「日本はすごい」と自画自賛する必要はない。最近、そういうテレビ番組が増えているのは、逆に日本人が自信を失っている証拠のように思えてなりません。
そもそも日本人は昔から「日本文化特殊論」を主張しすぎなんですよ。実際は、すべての国の文化は日本と同じ程度に特殊ですし、日本の文化にも他の国と同じ程度の普遍性があるはずです。なのに、島国のせいか、「国内」と「海外」の二元論に陥って、いい方向にも悪い方向にも、自分たちだけが特殊だと思い込みがちなんですね。
さらに「海外」への態度も二元論的で、「欧米」に対しては卑屈、「アジア」に対しては尊大に振る舞いがち。いずれにせよ、世界が実は多様であり、日本もその一要素にすぎないという意識が希薄です。
でもこれは、日本が恵まれているからでもあるんですよね。たとえばコンテンツ産業を見ても、日本は国内市場が大きくてそれだけで食べてこられたから、海外で売る必要がなかったわけです。事実、日本のマンガやアニメが海外で人気だといっても、大した売り上げにはなっていません。海外で評価されたという名誉だけで満足して、ビジネスとしての成功を本気で目指してこなかったからだと思います。
これに対して韓国のように国内市場が小さい国は、国家戦略として文化輸出をゴリゴリやらざるをえない。日本がコンテンツ産業の海外輸出で遅れをとってしまったのは、皮肉なことに、なまじ恵まれた国内市場を持っていたからこそなんです。
それと同じで、日本人の英語力が低いのは、シャイな民族性のせいでも日本語の特殊性のせいでもなく、単に話す必要がないからですよ。その証拠に、戦前、日本が貧しかった時代に海外に移民した方々は、それぞれの渡航先の言葉をすぐに習得し、多様な社会に見事に溶け込んでいらっしゃるではないですか。
日本のグローバル化が進まないいちばんの原因は、日本人の民族性でも日本文化の特殊性でもなく、恵まれた社会環境にあるのではないでしょうか。だとすれば、無理してグローバル化を進める必要はない。国内だけではやっていけない状況になれば、嫌でもグローバル化せざるをえないわけですから。そう考えると、グローバル化は日本人にとって必ずしも幸せなことではないような気もします。
- 山田 五郎(やまだ・ごろう)
- 編集者・評論家
1958年東京都生まれ。上智大学文学部在学中にオーストリア・ザルツブルク大学に1年間遊学し西洋美術史を学ぶ。卒業後、㈱講談社に入社『Hot−Dog PRESS』編集長、総合編纂局担当部長等を経てフリーに。現在は時計、ファッション、西洋美術、街づくり、など幅広い分野で講演、執筆活動を続けている。
著者に、『百万人のお尻学』(講談社+α文庫)『20世紀少年白書』(世界文化社)『山田五郎のマニア解体新書』(講談社)、『知識ゼロからの西洋絵画入門』(幻冬舎)、『純情の男飯』(講談社)、『知識ゼロからの西洋絵画史入門』(幻冬舎)、『銀座のすし』(文藝春秋)など
TV:『出没!アド街ック天国』(テレビ東京)、『PON』(日本テレビ)、『ぶらぶら美術博物館』(BS日テレ)、『親爺同志』(モンドTV)、『東京暇人』(日本テレビ)他レギュラー出演中。
ラジオ:『デイ・キャッチ』(TBSラジオ)、『山田五郎と中川翔子の『リミックスZ』(JFN系列)、他レギュラー出演中。