教員の視点

政界の「スクープ」はなぜ週刊誌から?
――メディアの役割分担と政治的中立

音 好宏
文学部 新聞学科 教授

大切な「やんちゃ坊主」の存在

音 好宏 文学部 新聞学科 教授

 昨年の政界をかきまわした2つの大きなスキャンダル、甘利明経済再生担当大臣が辞任した収賄疑惑と、舛添要一東京都知事が辞任に追い込まれた政治資金不正流用疑惑は、いずれも『週刊文春』のスクープが発端でした。同誌の取材力には定評があるとはいえ、多くの政治記者が日々組織的な取材を続けている大手新聞やテレビ局が、なぜ一週刊誌に立て続けに「抜かれ」てしまうのか……。

 実はこれは、今に始まったことではなく、たとえば当時絶大な力を誇っていた田中角栄首相の金脈問題をレポートし失脚に追い込んだのは、月刊誌『文藝春秋』でした。この時、田中金脈の疑惑はとっくに把握していたと漏らす田中番の政治部記者もいたやに聞きますが、その言葉の真偽はともかく、政治・政界と向き合う姿勢が、メディアの性格によって違っていることは確かです。

 新聞やテレビは、組織ジャーナリズムとして、政治の動向を継続的に報じ続ける役割を担っています。そのためには政界・政治家に食い込むことで、そこで起きていることを伝えようとします。長い目で見れば、大手メディアがその組織力を背景にした取材で、政治に関する重要な情報を逐次国民に提供することができる。半面、政治と一体となった取材環境に浸かり続けるがゆえの大手メディアの感覚が、私たち一般市民の正義や公正に対する皮膚感覚と、大きくズレてしまう恐れもあるわけです。

 一方、出版社系の雑誌などは、その存続が毎号の販売部数にかかっています。もともと政界を継続的に取材しているわけではないので、あとくされを気にすることなく、読者を驚かせる大胆な記事を書けます。その代わり、読者の興味が下火になれば、さっさとその問題からは手を引く。

 こうした、いわば「やんちゃ坊主」的なメディアが、前述の市民と大手メディアの感覚のズレに切り込み、警鐘をならしている部分があると、私は考えています。つまり、どちらが良い悪いではなく、多様なメディアが存在して、それぞれの得手・不得手にしたがって役割を分担している状態こそが望ましい、と。そして、読者・視聴者である私たちは、こうした役割の違いを理解していることで、それぞれが報じるニュースをよりよく「読み解く」ことができるのだと思うのです。

政治的中立があらためて

音 好宏 文学部 新聞学科 教授

 昨年は、放送法の解釈に関する高市早苗総務大臣の国会答弁もありました。政治的公平性を欠くと見られる放送局に対し、政府による電波停止命令もありうる」とするその内容が、言論・表現の自由を侵害するものとして、大きな議論・反発を呼んだことは周知の通りです。

 ただ、高市氏の発言の背景には、来るべき参院選に向けてメディアを牽制し、自分たちのポジティブな露出を確保しようという意図もあったと見ています。これは政権与党、とりわけメディアの扱いに強い関心を持つ安倍政権の一員としては当然で、政治の常套手段だともいえます。

 高市大臣の発言は、学会の通説とは異なるものですし、高市大臣の解釈に基づいて「停波」を実行すれば、国際社会のなかで日本の民主主義を疑われてしまう。国民受けも悪いので、実際に適用することは無理でしょう。だからメディアは毅然としていればいい。

 ところで、「政治的公平性」は、放送法には文言がありますが、新聞倫理綱領には謳われていません。折しも大統領選があって日本でもよく知られるようになりましたが、アメリカの新聞各紙は、それぞれ支持する候補をはっきりと表明する、つまり決して中立ではない。ニュースを扱う編集記事の部分で、事実をありのままに公正に伝えなければいけないのは当然ですが、論説記事のページでは自社の主張を自由に述べるというのが、新聞の本来の姿なのです。

 これに対し放送は、免許制度に縛られ、政治的中立を定めた法律もある。これは、電波が希少な「資源」だった時代に作られたシステムで、技術が発達して多チャンネル化し、またメディア全体も多様化した今日、その根拠はなくなったともいえます。

 しかし、先ほどの役割分担の観点でいえば、今なおメディアの中心にある新聞と放送が、異なる環境・条件に応じた機能を果たすことが、メディア全体の健全化には有益だと考えることもできるでしょう。

 ただし、日本の新聞は、求められていないはずの中立性にこだわり過ぎているきらいもある。そこには、編集と論説のセクションが分離しきらない日本の新聞社の組織的な問題とともに、日本社会のナイーブさもありそうで、日本のメディアの課題の1つです。

ジャーナリズムを正面から学べる場

音 好宏 文学部 新聞学科 教授

 昨年、私ども新聞学科の教員たちによる研究チームが、参院選報道に関する研究を行いました。結論から言えば、昨年の参院選報道は、「静かな」報道であったといえます。とくにテレビにおいては、前回の参院選に比べ、報道量自体が減少し、なおかつ内容も掘り下げの足りない、表面的なものが目立ちました。

 その原因について、先ほどの高市大臣の「牽制」がどのくらい効いたのか、その因果関係を明確に示すのは難しいが、プレッシャーを与えたことは容易に想像がつくし、はっきりしているのは、政治関連ニュースの枠の多くが、舛添都知事の辞任とその後の都知事選の話題に割かれていたということです。

 いかに首都・東京の問題とはいえ、全国ネットのテレビニュースでは、都知事問題より、まず国政選挙のほうを優先すべきであったのではないでしょうか。事前の世論調査などで、政権与党に有利と予想されていた参院選を、いわば「消化試合」的なものとみなし、より視聴率が期待できる都知事問題に飛びついたのだとしたら、ジャーナリズムとして役割をはたしたのか問われるところです。

 新聞学科は、今のメディアの社会でのありようを学問的に検証する研究拠点であると同時に、ジャーナリズム・スピリットをもった人材を育てるという意味では、日本に数少ないメディア・ジャーナリズムの教育拠点の一つであると自負しています。

 1932年創設という長い歴史の中で、ジャーナリズムを正面から学ぶという姿勢を貫き、「新聞学科」というやや古めかしいかも知れませんが、創立以来の名を今も変えていません。

 その一方で、理論だけでなく実践も創立以来重視し、1966年には、テレビ番組制作のためのスタジオ設備をいちはやく導入するなど、時代に合わせて教育内容は大胆に改革してきました。今年度は、学生が現場を体験し、それを通じてより適性に合った職種・職場を選べるよう「デジタル・ジャーナリズム」、「デジタル・アーカイブ」といった科目を新設すると共に、長年準備してきたインターンシップをカリキュラムに組み込みました。

 デジタル化の流れもあって日本のメディアは大きな転換期にありますが、ジャーナリズムの基本を身に付けた本学科の卒業生が、これからもさまざまな分野で活躍してくれることと信じています。

音 好宏 文学部 新聞学科 教授
音 好宏
文学部 新聞学科 教授

1961年北海道札幌市生まれ。専門はメディア論。上智大大学院博士課程修了後、1990年から日本民間放送連盟研究所勤務。上智大助教授、コロンビア大客員研究員などを経て、2007年から現職。専門はメディア論、情報社会論。著書に『放送メディアの現代的展開』(ニューメディア)など。衆議院総務調査室客員研究員も務める。

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