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- 上智人が語る 「日本、そして世界」
- 花田 景子 貴乃花親方夫人
国際人を目指すこと、それは自国の文化に目を向けること
- 花田 景子
- 貴乃花親方夫人
エネルギーあふれる女子学生たちに刺激を受けた毎日
テレビ局のアナウンサーになって、海の向こうで活躍したいという夢を抱いたのは、小学校5年生のときでした。当時、『兼高かおる世界の旅』をはじめ、海外を紹介する番組を各局が競うように放送していて、あこがれたんですね。そのためには語学を身につけなければと、高校のときアメリカに留学し、大学は上智に決めました。
宮崎で生まれ育った私にとって、歩いているといろんな言語が聞こえてくるインターナショナルなキャンパスが、まずカルチャー・ショックでしたね。そして、周りの女の子たちの志が高い。私は、彼女たちからよい刺激を受ける一方で、実はこのとき、夢をいったん封印してしまいました。彼女たちの会話があまりに面白く、しかもテンポが速くて、それになかなかついていけなかった私は、アナウンサーに向いていないと思ったんです。
入ったのはフランス語学科。高校の先生に、東京に行けば英語がしゃべれる人はいくらでもいるから、3カ国語を武器にしなさい、と勧められたのです。
驚いたことに、フランス語と初めて接する私たちに対して、先生はいきなりフランス語で授業を始めました。文法も発音も難しいだけじゃない。土曜日も授業はあるし、出席は厳しいし、フランス語漬けの毎日となりました。でも、耳はいつの間にかフランス語に慣れ、おかげさまで卒業のころには日常会話ができるようにもなっていました。
英語についても、実践的な通訳のクラスをはじめ、やはり上智の語学は素晴らしかったですね。語学以外でも、たとえば観光学という授業をとったんです、楽に単位がもらえるという情報を聞きつけまして(笑)。でもこれが、結果的にはとても役に立ちました。由緒あるホテルでフルコースをいただきながら、国際人として恥ずかしくないマナーをきちんと教わることができたのです。
授業以外でも、よい体験がたくさんありました。私は、当時あった榎寮という女子寮に入ったんです。ここはシスターが管理されていて門限など、規則は厳しかった。でも、留学生もたくさん住んでいて、文化や生活習慣の違いなど、直接学ぶことができました。そういえば、ちょうど在学中にマザー・テレサが講堂で講演をされて、生のお声をお聞きする機会にも恵まれました。
嬉しいことに、今も私の周りには、上智の卒業生たちがたくさんいらっしゃいます。皆さん、相変わらずエネルギーにあふれて各分野で活躍されていて、私はおしりをたたかれながら一緒にお仕事をさせていただいています。
大学の4年間がかなえてくれた自分の夢
夢は封印したはずなのに、なぜ私はアナウンサーになったのか。思い起こしてみると在学中、夢が再び頭をもたげるようなできごとがいくつかありました。
たとえば、人が足りないからと頼まれて参加した『ミス・ソフィア・コンテスト』で、思いがけず優勝してしまい、それがきっかけでとあるラジオ番組に出させていただいたこと。そして、これもひょんなご縁で、『世界めぐり愛』というテレビ番組の女子大生レポーターとして、海外に行かせていただいたこと……そうそう、このときは3週間学校を休まなければならず、恐る恐る担任の先生に相談しました。夢の話をすると、とても親身に聞いてくださり、それはあなたの一生にかかわる大事だから行くべきだと、背中を押していただいたのでした。
そんなこともあって、テレビ局の就職試験も受けるだけ受けてみようと。そうしたら、運がよかったんですね、フジテレビに入社することができました。
当時、フジテレビでは、自分がどんなことをやりたいかというレポートを、毎年社員全員に提出させていました。私は、大学で学んだことを活かしたいので、パリ支局で活躍する機会があったら是非自分を!と書き続けました。のんびり屋の私が、堂々とそんなことを言えたのも、上智で前向きな女性たちに刺激を受けたおかげだと思います。
おりしも湾岸戦争が勃発し、それを機に、ヨーロッパの情報を伝える報道番組が必要だということで、パリとニューヨークと東京を生中継で結ぶ『ワールド・アップリンク』がスタート。先ほどのレポートのおかげで、パリ駐在員として、私に白羽の矢が立ったのです。夢は口にしたほうが実現に近づけるのだと、あらためて実感しました。
こうしてフランスで1年間、外国人だからという壁やハンデを感じることなく仕事ができたのは、フランス語の授業はもちろん、寮生活を含むインターナショナルな環境で過ごした、上智での4年間があったからこそです。
でも、人生何が起こるかわかりません。この頃、主人との出会いがありました。
アナウンサーとしての7年間で、子供のころからの自分の夢はひとまず叶いました。今度は夫を支え、その夢をかなえることを自分の夢にしようと決心し、仕事を辞めて結婚の道を選んだのでした。
グローバルに活躍するためにも、若い人たちにもっと日本の伝統文化に触れて欲しい
相撲部屋の女将というのは、入ってくるお弟子さんたちのお母さん代わりでもあります。みんな志は一緒でも、当たり前ですが性格は本当に様々です。
ですから、コミュニケーションにはとても気を遣います。自分が産んだ子なら、ついうっかり言葉で傷つけてしまっても、すぐに元に戻ることができますよね。でも、彼らに対しては様々な手当が必要になります。
おいしいものを食べに連れていき、心がふっと開きかけたところで本音トーク、というのが私の奥の手。それともうひとつ、彼等にだけ通用する「魔法の言葉」があります。それは、「親方がこう言っていたわよ」なんです。
親方、つまり私の夫は、弟子たちのことを本当に大切に考えていますが、優しい言葉を直接かけることはありません。そこは、伝統的な師弟関係、指導のしかたを守っているのです。だから、私が代わりに、親方の思いをちょっと伝えてあげる。そうすると、彼らの目が輝きます。さらに踏ん張る力がみなぎるようです。
ところで最近の相撲界は、海外出身力士の活躍が目立ちますよね。日本の国技はどうなるのかと危惧する声も聞かれます。ただ私は、そのこと自体に危機感は持っていません。
お相撲さんは入門すると、まず相撲教習所というところで半年間、日本の歴史、相撲の歴史などを勉強します。また、ご存じのとおり厳しいしきたりなども叩き込まれます。これはとくに外国人にとっては大変なことだと思うのですが、彼らは本当に積極的です。うちの部屋にもモンゴル出身の子が一人いますが、日本語も上手だし、日本の文化についてもよく知っています。
だから、相撲の世界にいる子たちは、日本人であれ外国人であれ、日本の伝統文化を大切にしてくれる。その点で心配はないのです。
これから大事にしていきたいのは、日本の若者たちにもっと日本の伝統文化に関心を持ち、時代を経て脈々と受け継がれる日本人の心を再認識していただきたい、ということですね。ありがたいことに、講演などで相撲について話す機会をいただくことが少なくありません。それは、今まで自分のやってきたことを無駄にしない、私の役割なのかなと考えています。
後輩たち、いまの上智の学生たちの中には、グローバルに活躍しようと考えている人がたくさんいると思うんです。そんな人たちにこそ、まず自国のことをより深く知っていただきたいです。自分が立っているところ、日本という国やその文化の素晴らしさを知ると、同時に国際的に生きることの意味にも気づけるはずです。そして、私の周りの上智人たちのように、エネルギッシュに自分の足で歩いていってほしいですね。
- 花田 景子(はなだ・けいこ)
- 貴乃花親方夫人
11月12日生まれ、宮崎県出身。上智大学在学中は「ミス・ソフィア」に選ばれ、『週刊朝日』の公募表紙モデルを務めたほか、ファッション雑誌 『CanCam』(小学館)に読者モデルとして出演する。大学卒業後、フジテレビにアナウンサーとして入社。「FNNモーニングコール」「FNN World Uplink」「FNNスピーク」など、ニュース・情報番組を中心に活躍する。94年からフリーに転進。「投稿!特ホウ王国」などの司会を務めた。95年、横綱・貴乃花(現親方)と結婚。3児の母であると同時に、貴乃花部屋のおかみとして奮闘する傍ら、講演やテレビ、雑誌などでも活躍中。