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- 藤田 和芳 株式会社大地を守る会 代表取締役社長
持続可能な一次産業を守り育てる
日本発のソーシャルビジネスが中国へ、アジアへ
- 藤田 和芳
- 株式会社大地を守る会 代表取締役社長
大学紛争の裏側で
私が上智大学法学部に入学したころ、多くの大学が「紛争」の嵐の中にありました。日米安保条約改定、ベトナム戦争、沖縄返還などの問題に国民の誰しも、とりわけ学生は無関心でいられなかった時代です。上智でも、学生運動に加わる者は次第に増え、新聞部に入って2年生で主幹となった私は、学生側に立った記事を書き続けていました。そしてついに、上智でも全共闘学生による「バリケード封鎖」という事件が起こったのです。
後にそのときの話を、先ごろ亡くなったピタウ先生から伺ったことがあります。当時先生は理事長というお立場。私は先生に政治学を教わり、親しくしていただいていたにもかかわらず、新聞には大学の責任者である先生を批判する記事を載せていました。
バリケード解除を求める再三の交渉はうまくいかず、ついにピタウ先生以下大学側は、機動隊の導入を決断。「いかなる理由であれ、学問の自由を暴力的な手段で侵すことは許されない」というお考えからでした。
その夜、先生ご自身が警視庁に出向き、出動要請をされました。担当の方は、学生の反発を招いて事態がドロ沼化しかねない、と反対したそうです。
しかしピタウ先生は、なんとしても上智に学問の自由を取り戻したい、と譲らず、こう付け加えられた。「ただし、私の教え子たちの血が流れるようなことがないようにしてほしい」と。
警視庁はその熱意を受け入れ、特別に、子供を持つ35歳以上の隊員だけで突入部隊を組織してくれました。しかし結局は激しい衝突の末、バリケードは解除されたのでした。
このことについてピタウ先生は、ローマ教皇に謝罪の手紙を書かれました。それに対し教皇は、ピタウ先生をローマに呼び、先生の努力に感謝された。「そして教皇は、『全共闘の学生たちの上にも主の恵みを』と祈ってくださったのです」と、ピタウ先生は話してくださいました。私は、自分たちの狭い視野で闘っていた学生たちの幸せを、もっと高い視点で祈ってくれていた人がいたことに感動しました。
よく、上智の特徴として語学力や国際性が挙げられますが、それよりも私が感じるのは、人としての謙虚さ、やさしさです。私自身はクリスチャンではありませんが、神父様の先生方が周りにはたくさんいらして、人知を越えた偉大な存在に対する畏怖の念を持っていました。そして知らず知らずのうちにその感化を受けていたのでしょう。それは現在の私の仕事にも生きているような気がします。
ビジネスだからこそ続けられた意義ある活動
私は政治家になるつもりはありませんが、子どもたち、孫たちが飢えることなく、また戦争に巻き込まれることもない社会を残したいと考えます。「大地を守る会」の事業も、そんな観点で展開しているのです。
この仕事を始めたきっかけとして、私はいつも2冊の本を挙げています。まず有吉佐和子の『複合汚染』、農薬・化学肥料・食品添加物などが、人体・田畑・自然を蝕んでいく様子を描いた小説です。そして経済学者エルンスト・F・シューマッハのエッセイ『スモール イズ ビューティフル』。大量消費、科学万能主義の中で経済的な成長のみを目指す社会が、格差や精神の荒廃をもたらすと警鐘を鳴らし、科学技術に頼り切らない「中間的」な技術の活用を提唱しています。
飢えない、つまり食糧の安全保障が成り立った社会をつくるために、第一次産業が要となることは言うまでもありません。そしてそれは、農薬や化学肥料といった「科学技術」の代わりに、害虫に対する天敵の活用や輪作といった古来の、しかし優れた「技術」を使った、持続可能なものでなければなりません。コストのかかるこうした農業を守るには、産品が適正な価格で買い取られるよう、食べる消費者との関係性をきちんと作っていくことも不可欠です。
私たちはそれを本業、つまり、そこから利益をあげて継続していけるビジネスの形に組み立てました。それが、成果をあげ、ここまで発展させてこられたポイントだと思います。
事業がスタートしたのは40年あまり前。当時は、農薬を使わない農家は下手をすると、和を乱す存在として「村八分」にされるような状況でした。消費者も食品の安全性にはほとんど関心がなく、とくに男性は、そんなことを気にしていたら出世もできない、といった感覚だったのです。
環境問題が大きく取り上げられるようになり、また、食品の偽装表示事件なども経験して、人びとの意識はずいぶん変わりました。06年には、有機農法の推進を図るための法律が成立、農水省もようやく重い腰を上げました。
そうはいっても、効率・生産性を求める資本主義社会であることに変わりはありません。グローバリズムの中で競争が激化している部分もあります。
何が大切なのか、頭では理解していても、企業の経営者はつい利益を優先し、消費者も安いほうに手を伸ばしてしまう。まだまだ課題は尽きません。
中国からアジアへ、広がる夢
日本人は、高温多湿という気候、島国で国土の67%が森林という地理的条件の中で、米を主食とし、稲作を中心とする文化をつくりあげてきました。稲作は、連作障害が起こらない、持続可能な農業。だから子々孫々のこと、自分の来世のことまで考えられるような独特な価値観の中で、助け合って生き続けてこられたのです。
この点、乾燥地で小麦を作り、連作による凶作を予期して今を幸せに生きることを優先してきた価値観とは大きく違う。食文化に優劣はないけれど、やはり日本人として大事にしていきたいところです。
ただ、グローバル化が進むこの世界で、政治的には農業についても市場を開放する方向に動いています。一時的には、価格競争に耐えられない生産者も出てくるでしょう。
それを、政治とは別の形で支えるのも私たちの役目です。近隣の国々と、どう手を結ぶか、これも一つの課題となります。
一昨年の7月から、中国にこのビジネスを広げる活動を始めました。中国で、環境や持続性に配慮する農業が広がれば、世界の農業が変わるでしょう。さらに、私たちがつくりあげてきた、生産者と消費者が信頼し合い、助け合う関係を定着させることができたら、それを世界平和につなげることも不可能ではない。私は、中国の行く先々でそれを言い続けています。
現在中国は、日本の高度成長期の姿をたどりつつ、日本が成長の裏側で経験した公害などの問題に対しては、日本ほどの対処はしていません。しかも国民は、それを自由に批判することもできない。
また、土地が私有でないため、子孫によい土地・よい農業を残そうという意識が持ちにくい、貧困ゆえにモラルが保てないといった問題もあります。中国のための基準や、契約の形などを工夫していく必要があるのです。とはいえ、昨年12月には、北京大学に呼ばれて、マイクロファイナンスの考案・実施でノーベル平和賞を受賞されたバングラデシュのユヌス博士と対談させていただく機会も得られました。中国人の意識も変わり始めているようです。
北京で手応えを得たら、成都から上海へ、その先はシンガポールはじめ、東南アジア諸国へとビジネスをつなげていきたい。夢は広がります。
- 藤田 和芳(ふじた・かずよし)
- 株式会社大地を守る会 代表取締役社長
1947年岩手県生まれ。上智大学法学部卒業後、建築系の出版社に勤務。75年に有機農業普及のためのNGO「大地を守る会」を立ち上げる。77年には株式会社化し有機野菜の販売を手掛ける。現在、同社代表取締役社長、ソーシャルビジネス・ネットワーク代表理事などを兼務。著書に『有機農業で世界を変える』(工作舎)ほかがある。