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- 塩塚 博 作・編曲家、ギタリスト
10秒の駅メロに音楽家としての個性と技術を光らせる
- 塩塚 博
- 作・編曲家、ギタリスト
音楽家への道が上智から開けた
父がクラシック好きで、僕も母のおなかの中にいた時から聴かされていたためか、4歳のとき自分からピアノを習いたいと言い出したそうです。残念ながらあまり上達はしなかったんですが、耳で覚えたものを即興的に弾く才能は当時から秀でていましたね。
小学時代「スパイダーズ」に憧れ、彼らがビートルズやストーンズへの扉を開いてくれて、中学からロックバンドでギターを弾き始めました。高校のときはいろいろなジャンルの演奏もこなし、オリジナル曲も作って、そのまま音楽の道に進もうと当然考えたのですが、進学校で、時代も時代だったため、先生方も親も猛反対。堅く上智大学の経済学部に進むことになったわけです。
とはいえ、さすが上智大学のキャンパスは洗練されていて、女子学生は多いし、国際色豊かだし、けっこうルンルンでした(笑)。でも、真っ先に向かったのはやはり軽音楽部の部室。そこで後にスクエアなどに参加するドラマーの河合マイケルくんと意気投合し、早速一緒にやることになりました。こうした音楽仲間のつながりは他大学へも広がり、今では大御所になっているすごいミュージシャンたちと、学生同士として出会い、セッションすることができた。これは僕にとって大きな刺激、そしてかけがえのない財産となりました。
同時に、音楽の興味は当時盛り上がっていたフュージョンやジャズのほうに急速に移り、専門学校でジャズギターを第一人者の澤田駿吾さんに習うのですが、1年半ほどで「もう教えることはない」と、一気に講師にしていただけたんです。人に教える経験は、ベテランにまじったナイトクラブなどでの演奏の仕事とあわせて、非常によい修業になりましたね。
こんな具合ですから、まじめな学生だったとはとても言えませんが、大学で流通経済の仕組みを勉強できたことは後にたいへん役に立ちましたし、経済学の基盤となっている数学が、作曲や編曲の考え方の基本に通じているというように、意外な形で上智での学びは音楽家としての僕の人生に生きています。
30歳を前にした決断
卒業後一旦は、これまた堅くデパートに就職しました。一般の会社より寝坊でき、週休もわりとフレキシブルでライブ活動が続けやすいという不純な理由が大きかったんですけどね(笑)。
でも、日々お客様や、とりわけ納入業者の営業マンたちと接するなかで、商売とはなにか、営業とはどのようなものかを、身をもって学べたことが、やはり後々役に立ちます。
そして28歳のとき、抑えていた音楽への情熱を爆発させるできごとがおこりました。会社の懸賞論文に応募して、研修で行かせてもらったニューヨーク。昼間は現地の百貨店などを見学するのですが、夜の自由時間は当然、ライブハウスや劇場を回り、世界最高峰の演奏やミュージカルに生で触れる機会を得ました。そして、紛れもないスター・ミュージシャンが、深夜になにげなくその場かぎりのセッションを楽しんでいる、鳥肌の立つような場面も体験してしまったんです。
折しも、応募を重ねていたテープ審査のオリジナル曲のコンテストで初めて優勝。それで僕は、29歳にして決断し、まずはCM音楽の制作会社に転職しました。
ここで音楽制作の現場を勉強させていただいて、翌年はいよいよフリーに。つまりは「自称音楽家」として、デモテープを持って自分を売り込むことになったわけですが、この「営業活動」で、一見音楽と無関係だった経済学部での勉強やデパートでの体験が、すべて生かされました。お蔭さまで、1年目から比較的順調に仕事をいただくことができたのです。
以来僕は、郷ひろみさん、稲垣潤一さんをはじめとする楽曲提供、そのほか様々なジャンルの音楽の作編曲、そしてギターの演奏と、幅広く音楽活動を続けています。
そうした中で、CM音楽や、番組で使われる短い音楽(ジングル)の作曲を得意にしていたこともあり、93年に、列車の発車・到着を知らせるメロディ、いわゆる「駅メロ」の作曲のお話をいただいたのでした。
「駅メロ」にも個性ある作曲で貢献
引き受けるにあたり、重く受け止めたのは、駅メロが1日に何百回も繰り返され、しかも駅の利用者だけでなく、近隣の方々の耳にも否応なく入る音楽だということでした。ですからまず、さわやかで耳障りがよく、それでいて奥が深くて飽きのこない音色選びから始めました。
その上で、他の人のものとは違う、僕なりの貢献のあるものをつくりたい。そこで、先行作品にはなかった起承転結、ストーリー性を10秒ほどの曲の中に持ち込みました。
曲調については、僕の音楽の原体験であるクラシックに戻り、とりわけ明るく品があって大好きなモーツァルトに「先生!!どうぞ僕に憑依してください」とお願いして(笑)書きました。それから、大学時代に会得したジャズ、フュージョンのテイストで作ったのもあります。曲の最後に通常の和音を使わず意外性を持たせる「偽終止」の手法も、このときの作品の特徴です。
こうして納品した9曲は、ありがたいことにいまだにすべて現役で使われています。ちなみに、もともとタイトルはありませんでしたが、後に僕の頭文字からSHシリーズ1番~9番」と名付けました。携帯電話の「着メロ」が流行り始めたとき、ラインアップに駅メロを加えては?と提案したので、ユーザーに検索してもらうために必要となったのです。ちなみに最近の作品は、最初から『木漏れ日の散歩道』(JR・東神奈川駅)のようなタイトルがついています。
僕を起用してくれた制作会社が駅メロの分野から手を引いたため、その後僕の新作は長い間出ませんでした。でも2007年以降は続々と依頼をいただき、既存曲を駅メロ用にアレンジしたものを含めると、現在までに計150曲あまりを提供、曲数ではトップということで、第一人者、「鉄のミュージシャン」などと呼ばれるようになりました。
ただ、作曲者としての僕の名前がそれほど知られているわけではないので、今後も全国のいろいろな鉄道の駅メロを作らせていただき、もう少し有名になりたいと思っています。また、パリやソウルでは日本を真似して駅メロを取り入れているようですから、世界の駅で僕のメロディを聴いてもらえるようになったら嬉しいですね。
もちろん、僕の音楽家としての仕事は駅メロだけではありません。先ほど紹介したような幅広い作・編曲の仕事、ギタリストとしてのライブ活動も充実させていきますよ。
そして、作曲家である以上、オーケストラ作品、できれば交響曲を1曲仕上げたい。これは音楽家としての「終活」になるのかもしれませんが(笑)。
- 塩塚 博(しおづか・ひろし)
- 作・編曲家、ギタリスト
経済学部経済学科1979年卒業。
1956年、神奈川県横浜市生まれ。少年時代スパイダーズに憧れ、音楽の道を志す。上智大学卒業後一度就職し、勤務しながらライブ、作曲を続ける。1985年度のリットー社「オリジナル・テープ・コンテスト」B部門で優勝し86年CM音楽制作会社に入社、ディレクターとして1年間勤務。87年に作編曲家・演奏家として独立。以来、レコード(郷ひろみ、稲垣潤一ほか)、CM、TV・ラジオ番組、駅発車メロディーなどの作編曲で活躍。JR東日本の駅メロは1994年から今もなお使われ続ける代表作。JRの曲をセルフアレンジしたアルバム「テツノポップ」を2011年に、駅メロに史上初めて特化したCDブック「駅メロ!THE BEST」を2013年に発表。TV・ラジオにも多数出演。また、ギタリストとしてライブ・ステージ活動も精力的に続けている。