YOLスペシャルインタビュー 上智人が語る 「日本、そして世界」

時代小説を書き続けて見えてきた大切なこと

諸田 玲子
作家

討ち入りのない私の忠臣蔵

諸田 玲子 作家

 この9月から、私の小説『四十八人目の忠臣』をもとにした連続ドラマが、NHKで半年あまりにわたって放映されます。時代劇の定番「忠臣蔵」を扱っていながら、まったく新しい物語として、とりわけ若い女性にも楽しんでいただけるものになるはずです。

 原作について言うと、ある新聞社から「忠臣蔵をテーマに連載を」と依頼されたことがあったのですが、その際はお断わりしました。もうさすがに書き尽くされていると思っていたし、私自身すでに短編を書いていましたから。

 でもそれを機に「忠臣蔵」ものを読み直してみた中で、池波正太郎の『俺の足音』という作品に出会いました。そこに描かれた大石内蔵助は、たとえば討ち入りの現場で妻の裸姿を思い浮かべるなど、まさに池波さんオリジナリティの忠臣蔵でした。それに触発され、私にしか書けない忠臣蔵もまだまだあるはず、と思い直したんです。赤穂藩の江戸屋敷の絵図が新たに見つかったことなども契機となって、最終的にお引き受けすることにし、そうして若い娘を主人公にした、討ち入りの場面すら描かれない忠臣蔵が生まれました。

 ここであらためて振り返ってみると、むろん独自の視点などという大層なものではありませんが、私の作品には女性の目、それも、たとえば自分がもし武将の妻だったら、母だったら、という主観的な目で人物や歴史を眺めたものが多いかもしれません。たとえば織田信長の正室を主人公にした『帰蝶』は、女・子供を含む何万人もの人を焼き殺してしまうような「テロリストと結婚させられたとしたら、自分は何を感じ、どう考えるのだろう」というところを書きたかった。実は私は、信長という人が大嫌いなんです(笑)。

 たしかに、古い時代になると女性に関する資料はほとんどなく、活躍が知られた女性でも、たいていは本名すらわかりません。

 でも、時代小説の使命は史実を正しく伝えることではないのですから、フィクションの中で女性、子供など、目線を変えてみると、それぞれの時代の新しい面が見えてくる気がします。

 とはいえ、大学時代には自分が作家に、それも時代小説を書くようになるなどとは、夢にも思っていませんでした。

原点はシェイクスピア?

諸田 玲子 作家

 私が育ったのは、テレビドラマや映画が見せてくれる欧米の生活や文化に、だれもが憧れていた時代。英語がペラペラで颯爽と働くキャリアウーマンになりたいという夢もあって、上智大学文学部英文学科に進もうと考えたのはごく自然な流れでした。

 静岡から出てきていくつか大学を見て回りましたが、学生運動の名残りでまだざわついているところが多い中、上智はとてもハイセンスで、国際的で、きらめいている印象でした。思えば、どの大学もグローバルを謳う今の時代になっても、上智が一味違う垢抜けたイメージを保ち続けているというのはすごいですよね。

 入学後は、興味のあることを幅広く、柔軟に自由に学ばせてもらった記憶があります。新聞学科の映像制作のクラスに入れていただき、カメラを担いでドラマもどきを撮ったりもしました。

 でも正直まじめな学生ではなくて、作詞家になられた森雪之丞さんと二人、教室を抜け出して千鳥ヶ淵でボートをこいだりもしていました(笑)。

 そんな私が大学生活で一番打ち込んだのは、「シェイクスピア研究会」だったと言ってよいでしょう。指導されていたのはシェイクスピアの専門家で演劇集団「円」の演出家でもいらした安西徹雄教授。たまたま私のクラスの担任でもあったんです。

 『ロミオとジュリエット』『マクベス』はじめ、いろいろな作品を、学内で公演しました。英語でシェイクスピアの長い、難しいセリフを覚えるのも大変でしたが、土手で発声練習をしたり、お芝居についても厳しく鍛えられましたね。自分で実際に演じることで、作品や背景となる文化の理解が深まったことは間違いありません。

 考えてみるとシェイクスピアはいわばイギリスの時代劇ですから、このときの体験は現在の私につながっているのかもしれません。

 一方で、当時はせいぜい100枚ほどの卒業論文を書くのに四苦八苦し、日本史の知識などゼロに等しかったことも事実。私が時代小説を書き始めるきっかけは、ずっと後にやってきます。

歴史は繰り返す。縦にも横にも

諸田 玲子 作家

 勤めていた外資系の化粧品会社に冷淡にもリストラされたのは30代なかば。広報部にいたご縁で、テレビ関係の方から「暇ならやってみる?」と紹介されたドラマのノベライズの仕事に、気づけば没頭していて、このとき初めて自分は書くことが好きらしいとわかったんです。オリジナルの小説を書き始めたのは、40歳を過ぎてからでした。

 時代物というジャンルを選んだのは、身近な問題を掘り下げるより、それこそシェイクスピアのように、一つの枠組みの中で「物語」を作るほうが好きだったから。歴史の知識不足なんて、仕事で必要となれば必死に調べますから、いくらでも補えます。

 私はどの時代を扱った作品も書きますが、年代的には現代から遠く離れた平安時代が、実は現代ととてもよく似ていて驚きます。貴族社会は一種の成熟社会ですから、出世を求めてワイロが横行したり、それを取り締まる「マルサ」みたいな役人がいたり、豊かな家の息子が身を持て余して非行に走ったりもするんですよ。

 一方、そうした貴族の屋敷の塀の外には、極貧者を含めて種々雑多な人間がうごめいている。たとえばアラブやアジアの国を旅行すると、この町は平安京そのものだなどと感じることがあります。歴史は繰り返すといいますが、それは時間軸と空間軸を入れ替えてみても成り立つんですよね。歴史をそういう目で見られるようになったことは、時代小説・歴史小説を書いてきたおかげでしょう。

 そして、かつて欧米に憧れていた私は、いま日本と日本人が大好きになっている。「恥」を感じる心であったり、人としての「誇り」の持ち方であったり、一言で説明するのは難しいのですが、とても大切なものを私たちは長い歴史を通して継承してきたし、これからも継承しなければいけないと気づいたんです。でも、今の日本を見回すと、それができるかどうかちょっと心配です。

 グローバル化はもちろん大切ですが、だからこそ自分たちの文化を見つめ直してほしい。グローバル化をリードする上智の後輩たちには、とくにそれを望みたいですね。だから時代小説を読めとは言いませんけど(笑)。

諸田 玲子 作家
諸田 玲子(もろた・れいこ)
作家

文学部英文学科1976年卒業。
1954年静岡市生まれ。外資系企業勤務を経て、翻訳・作家活動に入る。向田邦子氏、橋田壽賀子氏、山田洋次氏等の脚本を小説にするノベライズに携わったのち、主として歴史・時代小説を執筆。1996年『眩惑』(ラインブックス)にてデビュー。2003年『其の一日』(講談社)で第24回吉川英治文学新人賞を受賞。2007年『奸婦にあらず』(日経新聞社)にて第26回新田次郎文学賞を受賞。2012年『四十八人目の忠臣』(毎日新聞社)にて第1回歴史・時代小説大賞作品賞を受賞。新聞連載をはじめ平安、戦国、江戸、幕末、昭和を舞台にした著書多数。最新作は『風聞き草墓標』(新潮社)。

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