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- 今野 敏 小説家
「謎解きもの」とはひと味違う日本の警察小説の草分けに
- 今野 敏
- 小説家
充実した学生生活の中で作家へのチャンスが
私が上智大学を受験したのは、当時国際部に在学していたアグネス・チャンさんに憧れて、というあまりほめられた動機ではありません。そのためか現役の際は不合格となり、一浪している間に少しまじめに考え直し、自分の関心に沿った新聞学科に志望を変えて再受験しました。
そうして入学した上智はまさに理想の大学でした。キャンパスは小ぢんまりとして人数が多すぎず、都心にあるのに環境がゴミゴミしていない。
女子が多い点は今と同じですが、当時はとくに良家のお嬢様ばかりで、男子は道の真ん中を女子に譲るという感じでした(笑)。
私には、それまでの受験勉強とはまるで違う、自分の学びたいことを選んで深く学ぶ大学の講義が、とにかく刺激的でした。一般教養では、国語学者の金田一春彦先生の授業や、理系の科目も多く受講しましたが、すべて面白かったことを覚えています。
サークルは茶道部と空手同好会。茶道は高校で始めたもので、たまたま流派も同じだったためです。グラウンドの片隅にある和室がある建物で、毎回ビニール畳の砂埃を拭いてから稽古していた記憶があります。空手のほうは、子供のころからのブルース・リーへのあこがれがあったため始めました。今も続けていますし、作品にも大いに生きています。
アルバイトも1年の秋から始めました。マーケティング・リサーチ会社の仕事で、これがなかなか忙しく、3年のころからは事務所に出勤して、そこから授業のあるときに大学に通うような具合でした。次第に雑誌の原稿なども任されるようになり、これはとてもいいトレーニングになりました。
こうして授業、部活、アルバイト、どれもまじめにこなすとかなり手一杯で、それ以外の大学生らしい思い出といえば、秋のキャンパスの美しい景色とともによみがえる失恋の痛手くらいでしょうか(笑)
そんな中で、ひょんなきっかけで書いてみた小説が、雑誌の新人賞をいただいたんです。こんなチャンスは、そうそうあることではありません。このときはじめて作家になろうと、いや、なるしかないと思ったんです。
ノベルスブームに乗ることができた幸運
ところが現実はそう甘いものではなく、「うちの新人賞だけでは食べていけない」と正直な編集者に言われて、レコード会社に就職。しかしそこを3年で辞め、いよいよ小説一本に絞りました。
1、2年は仕事が少なく苦しかったけれど、折しも世はバブル期に突入。出版業界もそれなりに羽振りがよくなり、さらに新書版の小説本、いわゆる「ノベルス」のブームが来た。執筆依頼が倍に、また倍にと増えていきました。
そうした中で、いまや私の仕事の柱となっている警察小説は、自分から書きたいと申し出たものです。会社を辞めて暇を持て余していたころ、ジャック・ヒギンズなどの冒険小説からミステリーの世界に足を踏み入れ、やがてエド・マクベインなどの作品に出会って、なぜ日本にはこういう警察小説がないのだろうと、漠然と考えていた。もちろん刑事ものはあったけれど、あくまで謎解きが中心でしたよね。最近になって、それは先に『鬼平犯科帳』のような捕物帳があって、需要を満たしていたからではないかという意見を聞き、読んでみて納得しました。確かに鬼平は、マクベイン描く『87分署シリーズ』そのものです。
誰も書いていないなら自分で書きたい、その思いは意外にあっさり出版社に受け入れてもらえました。それで、本を買って日本の警察機構について勉強しました。組織というのはどこも似たり寄ったりのところがありますから、人間関係などを描く上で、会社勤めを体験しておいたことは非常に役立ちましたね。
こうして、私の作家人生の転機であり、ライフワークとなる『安積警部補シリーズ』がスタート。ちなみに、当時私は30代なかば、安積は45歳という設定なので、かなり大人の男というイメージで書いていました。でも、いざ自分が彼の年齢を追い抜いてみると、全然大人じゃない(笑)。だから、彼のキャラクターはずいぶん変わってきていると思いますよ。
顔が見えないからこそ面白いのが小説
私の作品の多くは、アメリカのスタイルをまねて、章立てをせず数字で節だけを示しています。1節は原稿用紙約20枚、2節40枚が連載の1回分、毎月連載5本分200枚を書いて、1年で5冊の本になるというのが通常のペースです。
アイデアが降ってきてくれば楽なのですが、実際はパソコンの前に座り、裏紙などにメモを書きまくって、なんとかアイデアを絞り出す。大まかなプロットが決まった状態でとにかく書き始め、書き進むうちにもっと面白い展開を思いつけば、犯人を変えてしまうことも珍しくありません。
ありがたいことに、私の作品は、連続ドラマを含めてかなり映像化していただいています。私の創った人物を演じる役者さんを、作者としてなかなかいいなと気に入ることもあれば、ものすごい違和感を覚えることもありますが、いずれにしても次にその人物を描くときには、そのイメージは完全に頭から消し去ります。
実は私は、登場人物の背格好や顔の特徴を、あまり書きこみません。そこは、会話などから読者に想像してもらうことにしています。そもそも、書いている私の頭の中に、彼等の顔の造作はない。目鼻はないのに表情だけはあるという、ちょっと不思議な状態で動き回っているんです。
心理描写の巧拙は小説の面白さを決めると思いますが、これも詳しく書けばいいというものではありません。入り口だけ書いて、あとは読者に任せるというのがひとつのテクニックで、そのほうが感情移入してもらえます。
視覚や聴覚に直接訴えるテレビや映画の表現に、小説はかなわない部分があります。でも絵が見えないからこそ、こうした小説の面白さをきちんと提供していけば、決して見捨てられることはないでしょう。
これは新聞学科のメディア論で得た知識ですが、人類の歴史の中で、消滅したメディアはないのです。テレビがどんなに進歩しても、AMラジオが生き残ってその役割を果たしているように、紙に印刷される小説も、そのコンテンツを生み出す私たちの仕事も、きっとなくなりません。
現在、推理作家協会の理事長を務めていますが、いま日本の推理小説はすごいですよ。アメリカを超えて、世界一面白いかもしれません。
- 今野 敏(こんの・びん)
- 小説家
1955年北海道生れ。上智大学在学中の1978年に「怪物が街にやってくる」で問題小説新人賞を受賞。1979年上智大学文学部新聞学科卒業。レコード会社勤務を経て、執筆に専念する。2006年、『隠蔽捜査』で吉川英治文学新人賞を、2008年、『果断—隠蔽捜査2—』で山本周五郎賞と日本推理作家協会賞を受賞する。射撃、ダーツ、スキューバダイビング、模型製作などの多彩な趣味を持つ。さまざまなタイプのエンターテインメントを手がけているが、警察小説の書き手としての評価も高い。『イコン』『リオ—警視庁強行犯係・樋口顕—』『花水木』『TOKAGE』『心霊特捜』『処断』『疑心—隠蔽捜査3—』『同期』『凍土の密約』など著書多数。