YOLスペシャルインタビュー 上智人が語る 「日本、そして世界」

青くさい夢を追い続ける
ミュージカルのトップランナー

新妻 聖子
女優・歌手

タイのインターナショナル・スクールで学んだこと

新妻 聖子 女優・歌手

 姉の証言によると、私は5歳にして「将来はスターになるんだ」と、アイドルの歌をまね、自分のサインまで練習していたそうです。いまの私があるのは、その頃からの執念のたまものかな(笑)。

 小学6年生のとき、父の転勤でタイに移住し、ABCすらまともに読めない状態でインターナショナル・スクールに編入しました。当然、数学も理科も社会も授業はすべて英語。山のような宿題と辞書片手に格闘しつづけて2年半、もう英語は一生しゃべれるようにならないのではと思い始めた矢先のことでした。水風船がパアンと弾けたみたいに、「あ、先生の言っていることが100%わかる!」と気づく日が、突然訪れたんです。そして学びました。くじけそうになるほどつらいのは、それだけ苦しい努力を蓄積した証しで、ゴールは間近だというサインなのだと。

 17歳で日本に戻り、帰国生入試で上智大学を受験。法学部国際関係法学科に進学しました。国際弁護士という未来も頭の片隅に描きつつ、私の目標はもちろん歌手になることでした。実はタイでもCDデビューの話はあったのですが、やはり日本でスタートしたかった。そこで、入学すると早速、デモテープを作ってオーディションに応募し始めました。

 そんな私を最初にスカウトしてくださった音楽出版社の社長さんもソフィアン(上智出身者)でしたね。その後も今日まで、上智のご縁にはずいぶん助けられていますが、人数が少ない分、ソフィアンに出会えたときの喜びは大きいし、つながりも強い気がします。

 ただこのときは、CDデビューには至りませんでした。その後、ご縁があってTVレポーターの仕事を始めましたが、私は、「卒業までに歌の道につながらなかったら、きっぱり辞めて就職する」と決めていました。そして、大学生活の最後の1年半ほどは、学業と仕事、さらには就活と、とにかく忙しかったですね。振り返れば、4年で卒業できたのは本当に奇跡でした・・・。

運で飛び込んだミュージカルが自分の道に

新妻 聖子 女優・歌手

 でも本当の奇跡は、卒業が近づいた4年生の夏に始まりました。東宝の演劇部から、『レ・ミゼラブル』のオーディションを受けないか、というお電話をいただいたんです。私の鼻歌をたまたま教室で聴いた先輩の推薦だったようですが、そのとき私は、ミュージカルというものを観たことすらありませんでした。今にして思えば、何も知らないがゆえに萎縮していなかったことが幸いしたんだと思います。

 最初に頂いた課題曲は少し年上の役のものだったため、オーディション当日、私を見た審査員の方が、もっと若い役に切り替え、翌日もう一度お越しください、ということになりました。そこで急だから歌詞は覚えなくていい、歌い方もテープのマネでいいと言われたんですね。これが、私に火をつけました(笑)。歌詞は一晩で覚えるし、人マネはしない、と啖呵を切ってしまったんです。あの作品の世界的名声、与えられたエポニーヌという役の重さ、テープの歌声の主・島田歌穂さんの偉大さを知っていたら、とてもできない所業でした。

 子供のころから家族にサプライズをしかけて喜ばせるのが好きだったんですが、このときは審査員をあっと言わせたい一心で全力を尽くしました。そして翌日のオーディションでは、皆さん驚くと同時に、その熱意を含めてポテンシャルを感じてくださったのか、合格することができました。それが大変なことだと知ったのは、製作発表翌日のスポーツ紙の記事の大きさを見たときでした。

 こうして私の運命はよい方向に転がり始めました。とはいえ最初のうちは、わけもわからず飛び込んでしまった世界で、ガムシャラに頑張っているんだけれど、どこか的を射ていないという感じだったと思います。そんな私を大きく変えたのは、『ミス・サイゴン』という作品との出会いでした。台本を読んで、舞台が私の第二の故郷・タイだったことに運命的なものも感じ、初めて自分から、ヒロインのキム役をやりたいと思った。ミュージカルの道を、自らの意志でしっかり歩いていこうと決めたのは、この時でした。

そして夢はラスベガスのショウ

新妻 聖子 女優・歌手

 歌のないお芝居やドラマもやらせていただいていますが、どうやら私の場合、音楽があったほうが役に入りやすいようです。入り口がミュージカルだったので、脳が音楽=演劇空間と認識しているんでしょうね。ゲラゲラ笑っていても、イントロが鳴り始めたとたんにすぐ泣ける(笑)。一方、歌手として歌うときにも、ストーリー性のある曲だとミュージカルのような表現になります。

 こんなふうに私のベースになっているミュージカルを、もっと日本に根付かせたい、世界に誇れる作品を日本でも作っていきたい、と以前は思っていました。でも最近、少し考えが変わったんです。

 基本的に海外の優れた作品を輸入して、ときどきオリジナル作品があって、一方に宝塚という独特の世界があるという現在のバランスが、ちょうどいいのではないか、と。歌舞伎がニューヨークのエンタメのメジャーになりえないのと同じで、欧米発の文化であるミュージカルが日本のエンタメのセンターにきたら、かえっておかしいのかな、と。もし日本から世界に発信していけるミュージカルがあるとしたら、それはアニメと連携したいわゆる「2.5次元」の作品かもしれません。

 ところでこの秋、初めて全国コンサート・ツアーをやるんです。ずっと歌手を目指していた私にとって、これは大きな節目となるイベント。

 サラ・ブライトマンもバーブラ・ストライサンドも、やりすぎと言われるくらい幅広いジャンルの曲を歌っているのですが、私もなかなかの幅広さです。自分では、もはや「新妻聖子」という新ジャンルができかけていると勝手に思っています(笑)。今度のツアーも、わざわざ世界のホールを回らなくても、新妻が全部この町で歌ってくれるじゃないか、という感じにしたいですね。そしていずれは、私のほうからラスベガスのシーザーズ・パレスに乗り込む。5歳児の妄想を、本気で実現しようと考えています。

 私ももう35歳、友達は、会社では管理職、家庭では子供が中学生と、結構落ち着いているんですよね。そのなかで私は、いまだに恥ずかしげもなく青くさい夢を追って、鼻息荒く生きています。その姿を見ていただくことが、皆さんの元気の源になればと願っています。

新妻聖子2016年スケジュール

7月7日(木) ミュージカルコンサート『アイ・ラブ・ミュージカルズ』
8月5日(金)~8月27日(土) ミュージカル『王家の紋章』
10月1日(土)~11月25日(金) 新妻聖子コンサートツアー2016

新妻聖子オフィシャルサイトはこちら

新妻 聖子 女優・歌手
新妻 聖子(にいづま・せいこ)
女優・歌手

法学部国際関係法学科2003年卒業
1980年、愛知県生まれ。11歳から17歳までをバンコクで暮らした帰国子女。大学在学中の2002年、TBS「王様のブランチ」でタレント活動開始。2003年、5000倍のオーディションを勝ち抜き、初舞台でミュージカル「レ・ミゼラブル」エポニーヌ役を演じる。続く「ミス・サイゴン」ではヒロインのキム役を演じ、豊かな声量と表現力で来日した海外スタッフからも絶賛された。以降、ミュージカル界屈指の歌姫として活躍。第31回菊田一夫演劇賞、第61回文化庁芸術祭演劇部門新人賞受賞。2015年EX「関ジャニ∞のTheモーツアルト音楽王No.1決定戦」2連覇。JDL IBEX CMソングを担当。ミニアルバム「SEIKO」好評発売中。

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