「うまいがい。もっと取って来っから待ってで。」
アパートの狭い茶の間に、玄関から冷たい風が入ってきた。母は、白菜の漬け物をボウルに入れて持ってきた。手は真っ赤だった。すぐ台所で食べやすい大きさに切って、食卓に出してくれた。ありがとうという間もなくおかわりの白菜を箸で取り、ご飯にのせてくるっと巻いた。うまくできたと思い、醤油をちょっとかけて口の中へ。塩漬けの白菜に数滴醤油を垂らすとまろやかないい塩梅の味になり、炊きたてのご飯をくるむとなんとも言えない美味しい白菜巻きができた。まろやかなんてことばは、まだ分からなかったけれどまろやかな味だったのだ。
母は病院の調理員として働いていた。早番遅番があり、早番の時は朝6時出勤、遅番では帰宅が午後6時頃だった。そんな中、八百屋さんに白菜が並ぶ季節になると、玄関に2、3株の白菜が買ってきてあった。学校から帰ると、白菜はアパートの南側で天日干しされていた。そのうち気付くと、玄関脇の隙間に薄黄色い漬け物容器がいつものように置いてあった。白菜の漬け物は、冬になると母が運んできてくれるものだった。醤油をちょっとかけた葉っぱの部分で炊きたてのご飯をくるんで食べる。最高の食べ方だった。芯の部分は、葉っぱとは違う味わいでこれも美味しい。同じ白菜なのに、口当たりも味も違うなと子供心に思いながら食べていた。
ある日、母の帰りがいつもより遅かった。
「お姉ちゃん、お腹空いたね。」
と、妹がぽつりと言った。ご飯があるから、白菜を取ってくればいいやと思い、
「白菜取ってくるから、待ってて。」
と言って、すぐ玄関ドアを開け明かりをつけた。漬け物容器の蓋をあけ、重しを横にどけて、そっと手を入れた。何という冷たさ。手の感覚がなくなった。端の方を千切るようにして白菜を取った。母はいつもこんなに冷たい思いをしていたのだ。そこにようやく、母が帰ってきた。勝手に白菜を取ったのに叱ることもなく、
「お腹空いてたばい。しゃっこいのに、よく取ったない。すぐご飯にすっかんない。」
と言ってエプロンを着けた。
進学とともに故郷を離れ、結婚して30数年経った。母から白菜の漬け方を教わることもなく過ぎてしまった。自分で作った浅漬けはもとより、スーパーで買う漬け物の味は母の味からは遠い。天日干しした白菜を塩で漬ける素朴なものだが、母の漬け方があったのだ。
私の故郷、福島の郡山あたりには、「までにやる」という言葉がある。「まで」とは漢字で「真手」と書き、「心を込めて丁寧に」という意味である。母の真っ赤な手は、正に「真手」であった。
醤油を数滴垂らした白菜の漬け物で、炊きたてのご飯をくるんだあの味は、母の真っ赤な手、真手の味、永遠の味である。