その夜も、母は夜勤に出かけるため、そうっと私達の寝る子供部屋から出て行った。小学生の私でも寂しいと思う瞬間なのだ。三歳の妹が、もし目を覚ましたら大騒ぎになってしまう。私は母が抜け出た場所に体をすべり込ませ、母の脱いだ柔らかなガーゼのパジャマの上着を妹の頬の傍にそっと置いた。寝返りを打った後、『ふんふん』と鼻を小さく鳴らせた妹は、安心したようにまた静かに眠りについた。
いつもの事なのに、やっぱり、涙が出た。
『よろしくお願いします』という母の声と、『パタン』と裏戸の閉まる音が聞こえると、自分でもおかしなくらい涙が溢れ出た。布団に顔をうずめて、声を殺した。
優しく背中を撫でられたような気がして、ふと顔を出すと、祖母が薄暗がりの中で、布団の上から私の背中を撫でてくれていた。
「ばあちゃん?ありがとう。大丈夫だよ。」
私が、小さな声でそう言うと、
「お腹すかんか?お台所に来るかい?」
足音を忍ばせて、祖母と二人台所に行くと、食卓の上に小さなお焼きが三個、皿に盛られて湯気を立てていた。
「わあ。ばあちゃんやき!」
思わずそう声をあげた私に、
「かっちゃんの好きな、甘いお魚の、まだ熱いからゆっくりおあがりね。」
自家製の米麹に漬けて焼いた鯖を解して、炊きあがった玄米ご飯に混ぜ一口大に握り、刻み昆布の入った祖母特製の甘くてとろみのある醤油タレを塗って作ってくれた一口お握り。冷えてからも、マヨネーズを加えたタレをもう一度塗って、フライパンで焼くと信じられないほどおいしかった。
私達姉妹は、フライパンで焼いたものを、「ばあちゃんやき。」と呼び、毎食食べても飽きることがなかった。
姉は、食事も排泄も介護が必要だったが、ちょうど姉が十歳になった時、スプーンやフォークを握れなくても、一口で食べられる、おいしい『ばあちゃんやき』のおかげで、三姉妹同時に、いっしょに食事を楽しめるようになった。生暖かく焼きなおしたものを『食べやすい』という理由で姉の口元へ持っていった時、姉が顔を真っ赤にして、
「あちゅいの( 熱いの) ほちい( 欲しい)」
と、初めてしっかりと話した。祖母はびっくりし、そして涙を流して喜んだ。二歳の妹も、
「あちゅいの、だめ~」
と時を同じくして、これもはっきりと言葉を話し始めた。両親はその話を聞くと、満面の笑みで私達姉妹の頭をたくさんなででくれた。
あれから、四十年以上たった。ばあちゃんに習った『麹入り味醤油』で胃袋を射止めた男性は、もう何十年も前に私の夫となった。
よく晴れた日は、『ばあちゃんやき』を作り、祖母の眠る墓や、姉のいるケアハウスに夫とピクニックに行く。『麹入り味醤油』は私の発明レシピだと、彼は今でも信じている。