パチパチパチ、ジュウジュワー、ジャッジャッジャッ、シュワー。音と共に立ち上る醤油と胡麻油の香ばしい香りが鼻の奥へと抜ける。これは我が家に伝わる秘伝の炒飯の特徴だ。我が家の炒飯は、一般的に言う炒飯とは大きく異なる。それは、卵を使わないということだ。卵を使わないどころか、具は何もなく、白米だけを醤油で炒め、香りづけに胡麻油を数滴垂らしただけの手抜き炒飯である。しかし、この炒飯は決して“手抜き”という言葉だけで片付けてはいけないものである。というのも、この炒飯はアレルギーをもつ私のために母が考案したものだからだ。
私は生まれつきアレルギーをもっていた訳ではない。後天的にアレルギーになってしまった。それも大好物であった卵のアレルギーだ。卵は栄養価の高さ、値段の安さ、彩りの良さ、用途の広さなどから多くの料理に利用される。そのため、卵アレルギーになった私の食べられるものは、かなり少なくなってしまった。
今まで普通に食べられていたものが食べられなくなることの辛さに私は一時的に“食べる”ことを止めてしまった。“食べる”ことで得られる幸せも、感じられる母の愛情も、全てを捨てた。部屋に閉じこもり、頑に“食べる”ことを拒む私に母は何度も何度も呼びかけた。日を増すごとにドア越しに聞こえる声が震えを増すことに私は気づいていた。私のせいで家族の皆まで卵を使わない料理を食べるなんて申し訳なくて、でも一人だけ違う料理を食べるのは寂しい。そんなことを思う自分がどうしようもなくやるせなかった。
“食べる”ことを止めた私が衰弱していくのに母は耐えられなかったのだろう。卵を使わずに、しかも私が作れる卵除去料理を試行錯誤していた。母自身も働いていて忙しいはずなのに、母は作り続けていた。
そんなある日、醤油と胡麻油の香りで私は目を覚ました。私はすぐに炒飯を母が作っていることに気づいた。なぜなら、炒飯は母の得意料理の一つで、私の大好きな母の味だったからだ。小さい頃はよく台所に一緒に立って、卵を割るのを手伝っていた。失敗して殻が入っていたこともあった。私の足は自然と台所へ向かっていた。
母を手伝うつもりで台所へ行ったものの、炒飯は完成とばかりに皿に盛られていた。しかし、その姿を見て私は唖然とした。真っ茶色なのである。焼きおにぎりを崩して皿に盛りましたという具合に、具が何もなかった。母曰く、具を入れてしまうと水気が増えて、卵なしにはまとめられないという。私は恐る恐る食べた。味よりも母の愛情が痛いくらいに伝わって涙が溢れた。この炒飯をきっかけに私は徐々に“食べる”ことを取り戻した。
パチパチパチ、ジュウジュワー、ジャッジャッジャッ、シュワー。今日も音と共に醤油と胡麻油の香ばしい香りが台所から立ち上っている。