いまから六十年近い前の小学四、五年生のときに、母が虫垂炎で入院した。
父は肺結核で入院療養中であったので、母子家庭状態から兄弟四人の子子家庭になった。
ある日、わたしが母の着替えを持っていく順番になった。昼ごろに病院に着くと、消毒液の臭いではなく、おいしそうな匂いがただよっていた。
病室に入り、ベッドで食事をしていた母のそばにいって、トレイに目を吸い寄せられた。おかずの皿に、丸い青唐辛子を半分にしたなかに、ひき肉が詰まっているのがあったからだ。はじめてみるたべものであった。おいしそうな匂いはこれなのかとおもった。
わたしがどんなようすをみせたのかはわからないが、容易に想像はできる。
「ヨッちゃん、これ、たべるか?」
と、母がすぐにきいてくれたからだ。
「うん、たべる」
さっそく、口に入れた。瞬間、あまりのうまさに、目の前がパッとあかるくなった。
「ええなあ、おかあちゃんは。毎日、こんなうまいのが、たべられるんやさかい。ぼくも病人になりたいわ」
たべ終わってから、おもわずもらしてしまった。
母がどう答えたのか憶えていない。
「そんなことをいうたら、病気のおかあさんがかわいそうやろう」
となりのベッドのおばさんに、やさしくたしなめられたのは憶えている。
「みんなにも、あげられたらええんやけど、もうあらへん。そやさかい、ふたりだけのひみつやで」
母に念を押され、わたしはこっくりをした。
病院でたべたのが、ピーマンの肉詰めとわかったのはおとなになってからである。
小学生のころ、ピーマンになじみはなく、青唐辛子だとおもっていた。病院食だからうす味で、ひき肉もそれほど上質ではなかったであろうし、冷めてもいたとおもう。それなのに、いまだにあのおいしさ以上のたべものとめぐり合っていない。
結婚してから妻にリクエストして、ピーマンの肉詰めをよくつくってもらった。こどものころと比べると、ピーマンもひき肉も上質で、できたてをいただいてきたが、目の前がパッとあかるくなった、あの胸のときめきはない。
胸のときめきはなくても、妻のつくってくれるピーマンの肉詰めは好物である。還暦をとうにすぎているので多くはたべられないが、至福を味わっている。
ピーマンの肉詰めが、十年前に亡くなった母とふたりのひみつの味であるのを、妻に話していない。たべるたびに、あのころの母と自分とむかい合っていることも。