「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第8回

一般の部(エッセー)

キッコーマン賞
「青い蓋の定期便」
山田 初恵さん(山口県・56歳)
読売新聞社賞
「塩むすび」
森野 直美さん(広島県・51歳)
優秀賞
「温かかった焼き芋」
別府 洋一郎さん(福岡県・61歳)
「お雑煮」
野中 碧さん(東京都・30歳)
「おばあちゃんの煮付け」
山縣 昭―さん(茨城県・89歳)
「辛子漬けと卵焼き」
赤井 克也さん(大阪府・74歳)
「幸せを育くんでくれた味」
小林 千尋さん(埼玉県・47歳)
「贅沢な西瓜」
菱川 町子さん(愛知県・72歳)
「七個のオニギリ」
松岡 智恵子さん(長野県・56歳)
「ひみつの味」
村田 好章さん(滋賀県・68歳)
「娘の『究極のメニュー』」
中井 路子さん(京都府・49歳)
「私と母の妙飯」
笹木 美来さん(千葉県・16歳)

小学校低学年の部(作文)

キッコーマン賞
「みんなといっしょ」
武田 奈々さん(兵庫県・7歳)
優秀賞
「えがおがいっぱい」
清水 ことみさん(東京都・7歳)
「じいじのオムライス」
佐久間 姫愛さん(東京都・8歳)

小学校高学年の部(作文)

読売新聞社賞
「最後」
本田 芽具実さん(広島県・12歳)
優秀賞
「おにぎりの忘れ物」
齊藤 吏玖さん(山形県・12歳)
「お姉ちゃんのお弁当」
村田 健太朗さん(東京都・10歳)

※年齢は応募時

第8回
■一般の部(エッセー)
優秀賞

「七個のオニギリ」 松岡 智恵子 まつおか ちえこ さん(長野県・56歳)

 かれこれ四十年前、私の高校時代のお弁当は、母が作ってくれた「オニギリ二個弁当」だった。一個の中に佃煮やら梅干しやら何でも入っていたので、必然的に大きいオニギリだ。しかもまん丸だから食べ難く、食べているとボロボロこぼれた。私が、

「お母ちゃん、違うお弁当にしてよ」

 と言うと、翌日は違う具がこれでもかと入ったオニギリだった。毎日そんな調子だったが、母の作るオニギリは好きだった。

 私はその頃バレーボール部に所属していた。入部した頃の部は、良くて県大会の準々決勝止まりの成績だ。そのため練習もさほど厳しくなく休みも多いので楽しかった。だが私たちの時代は不思議なことに、中学時代にエースやら主将やらやっていた選手が揃い、そこそこ強くなってしまった。監督は俄然やる気が出てきたようで、土日も練習を始めた。ほとんど毎日が練習になりお腹が空いてしょうがない私は、母の作った「オニギリ二個弁当」だけでは足りずに、他にパンを三個食べていた。私は食べないと力が出ない性分なのだ。

 二年生の秋、私たちは新人戦の地区大会で思わず優勝した。次は県大会に駒を進めると言う段になり、私は試合を考えると食べられなくなってしまった。練習試合からその傾向は強くなり、試合前となると食べ物を受け付けられず全く力が出ない。私は身体が大きいくせに、至って小心者だ。試合中失敗したらどうしようとやる前からクヨクヨ悩み、大好きな母のオニギリ一個さえ食べられなくなっていた。

 県大会の当日は、朝からあまり食べられず気分も重かった。母が何時お弁当の包みを渡してくれたかもわからないほど、集中力に欠けていた。

 一回戦が始まり、私は力が入らずサーブさえ相手コートに届くか危ぶまれる程で、ベンチの仲間が祈る姿が目に入った。それでもチームメイトの踏ん張りで勝ち進んだ。

 準決勝の開始は午後になり、その前に少し食事を摂ることになった。ご飯なんて食べられないと思ったが、食べなければ力が出ない。

 母の包みを開けて驚いた。いつもは優にソフトボールくらいはあるオニギリ二個はなく、ピンポン玉くらいのオニギリが七個入っていた。しかも具が小さく刻まれ、一個ずつ違う味付けになっている。私は母が心配してくれていたと思うと、胸が熱くなった。オニギリは準決勝前に三個食べ、決勝前に三個食べ、優勝後に一個食べた。本当においしかった。

 三年生になるとそれがゲン担ぎになり、大会には七個のオニギリを持参した。母は、

「面倒臭いんだよね」

 と言いつつ嬉しそうに用意してくれた。

 母は自分の作ったオニギリで、娘がインターハイや国体に行けたと自慢ばかりしていた。何だか恥ずかしかったが、あの「七個のオニギリ」が私に力を与えてくれたのは事実であり、今でも忘れられない記憶になっている。

[広告]企画・制作 読売新聞社広告局